東京地方裁判所 昭和45年(合わ)429号 判決 1980年1月30日
本籍 《省略》
住居 《省略》
無職 塩見孝也
昭和一六年五月二二日生
右の者に対する爆発物取締罰則違反、兇器準備結集、破壊活動防止法違反、強盗致傷、国外移送略取、同移送、監禁被告事件について、当裁判所は検察官竹内正出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役一八年に処する。
未決勾留日数中三、〇〇〇日を右刑に算入する。
訴訟費用は別紙訴訟費用負担一覧表記載のとおり被告人の負担とする。
理由
(当裁判所の認定した事実)
第一被告人の経歴と赤軍派の結成
被告人は、昭和三七年京都大学文学部に入学し、その後いわゆる社会主義学生運動に加わり、共産主義者同盟(通称ブント)の一員として活動を続けていたものであるが、昭和四四年ころから、右ブント内部において、同年秋以降の闘争方針などをめぐって理論的、戦術的な意見の対立が深まり、いわゆる関西ブントの指導者的立場にあった被告人は、現代を世界共産主義への移行の過渡期であると規定し、そのための世界革命戦争を唱え、同年秋以降の闘争によって右革命戦争の前段階ともいうべき混乱状態を作り出すべきであるとのいわゆる前段階武装蜂起論を展開し、右闘争のための革命軍の建設を提唱してブントを離脱し、これに同調する高原浩之、田宮高麿、中野(当時上野)勝輝、八木健彦、前之園(当時花園)紀男、堂山道生らとともに、京阪地区及び東京周辺を中心に各地で学生らを対象とした組織活動を行い、同年八月下旬神奈川県下で各地区の代表者を集めて結成準備会を開き、後述の政治局員らを選定したうえ、同年九月四日、東京都葛飾区の葛飾公会堂に約一五〇名の構成員、同調者らを集めて結成大会を開き、共産主義者同盟赤軍派(以下単に赤軍派という。)を結成した。右赤軍派においては、通常時の最高議決機関として各地区の代表者らによって構成される中央委員会が設けられていたが、その執行機関である政治局のもとに組織活動に当る中央人民組織委員会と闘争の準備等に当る中央軍事組織委員会と称する機関が置かれるなど政治局に実際上の諸権限が集中し、政治局が組織の統轄、活動方針の策定、実施など同派の活動の全面にわたり実質上の指導機関としての役割を果たしていたところ、被告人は、右中央委員会及び政治局の議長となって同派の最高指導者の地位につき、高原、田宮、中野、八木、前之園、堂山の六名は政治局員となって同派の指導に参画し、さらに、闘争の実行部隊として政治局のもとに中央軍、各地区に地方軍と称する多数の学生らを擁し、過激な闘争集団としての組織作りに努め、かつ、火炎びん、鉄パイプ爆弾などの強力な武器の準備を進め、同年九月下旬ころから一〇月上旬にかけて、大阪戦争、東京戦争と称し、大阪市内及び東京都内等において、交番等の襲撃を企てたが、見るべき成果をあげるに至らなかった。
第二いわゆる一〇・二一国際反戦デー事件
一 犯行に至る経緯
被告人は、昭和四四年一〇月二一日のいわゆる国際反戦デーに臨んで、赤軍派構成員らをもって都内新宿周辺において警察官らを対象とした闘争を行うことを企て、同月一八日ころ、都内小田急線千歳船橋駅付近の公明党後援会事務所において、田宮高麿、中野勝輝、八木健彦らの政治局員及び杉下雅一、松平直彦、小西隆裕、西田政雄、神田敏一、大越輝男、重信房子らの同派幹部らと会合し、「一〇・二一当日は、新宿周辺に集まり、火炎びんや爆弾を使って機動隊をせん滅する。」旨の闘争方針を発表し、かつ、中央軍と関西地方軍で第一中隊を、千葉と東京の中部、北部、西部の各地方軍で第二中隊を、神奈川、茨城、福島の各地方軍で、第三中隊を組織し、第一中隊は松平が、第二中隊は田中義三が、第三中隊は大越がそれぞれ中隊長となる旨の部隊編成を発表し、さらに、同月二〇日、東京都新宿区北新宿×丁目××番××号□□病院二階を右闘争のための指揮所と定めた。
二 鉄パイプ爆弾製造に関する罪となるべき事実
赤軍派においては、同派に所属する梅内恒夫、山野辺武らがかねてから福島医科大学において製造を試みていた鉄パイプ爆弾(直径約一・六センチメートル、長さ約二五センチメートルの鉄パイプに塩素酸カリウム、フェロシアン化カリウム及び庶糖を混合した爆薬約二十数グラムを充填し、試験管に濃硫酸数立方センチメートルを入れてゴム栓をした起爆装置を右鉄パイプ内に装着し、鉄パイプ両端をネジで密閉し、投擲により試験管が破壊され、濃硫酸と爆薬とが反応することにより爆発する構造を有するもの。)を右闘争に使用しようとしていたところ、右鉄パイプ爆弾調達のため同月二〇日同大学に赴いた小西は、右爆弾が未だ起爆装置の装着されていない未完成品であったことから、その素材を都内に搬入してこれを完成させようと企て、同派に所属する木村剛彦、松木某ほか一名をして、前記爆薬を充填した鉄パイプ二七本、試験管数十本、ウィスキーびんに入れた濃硫酸などを普通乗用自動車で都内に搬入させ、翌二一日昼すぎころ同都新宿区柏木四丁目六〇〇番地所在東京薬科大学構内において、あらかじめ被告人から派遣されていた西田にこれを交付させた。
被告人は、右鉄パイプ爆弾が未完成品であることを知るや、前記□□病院に電話で連絡してきた右西田に対し、東京薬科大学においてこれを完成させるよう指示を与え、右指示を受けた西田において、同大学学生の平野博之に事情を告げて製造場所の提供を求め、同人の案内で、同日午後二時すぎころ同大学一号館一一番教室内に前記鉄パイプ、試験管、濃硫酸を搬入し、同所において、木村剛彦、松木及び福島から帰京して応援に駆けつけた小西らとともに、試験管に濃硫酸を入れてゴム栓をし、これを前記爆薬を入れた鉄パイプ内に装着してネジ蓋をし、よって、同日午後四時ころまでの間に、前記構造を有する鉄パイプ爆弾十数本を順次完成させ、もって、被告人は、小西、西田、木村剛彦、松木らと共謀のうえ、治安を妨げ、かつ、警察官らの身体等を害する目的をもって、爆発物を製造したものである。
三 兇器準備結集に関する罪となるべき事実
被告人は、前記一記載のとおり、同月一八日ころの会合において、一〇・二一国際反戦デーに際し、赤軍派構成員らにより、爆弾、火炎びん等を使用して新宿方面で機動隊を襲撃する旨発表したが、そのころから同月二一日にかけて、右会合に参加した神田、松平及び右会合において第二中隊長とされた田中らと、右計画を実行するため、右闘争当日の同月二一日夜東京薬科大学周辺に火炎びん等の武器を準備して赤軍派部隊を集結させる旨を共謀し、被告人において、同月二〇日、前記□□病院から電話で、神田に対し、かねて同派に所属する池田某らが製造し、木村一夫らが保管していた火炎びん(細口ガラスびんにガソリン、灯油及び硫酸を入れ、びんの外壁に塩素酸カリウムと庶糖の混合液を塗布した紙片を貼付し、投擲によりびんから流出した硫酸と塩素酸カリウム、庶糖が反応、発熱し、ガソリンに引火する構造を有するもの。)約二〇本を受け取り保管するよう指示し、神田をしてこれを受領させ、都内西荻窪の長田某のアパートに搬入保管させ、さらに、同月二一日午後五時すぎころ、前記□□病院において、神田に対し、右火炎びんを東京薬科大学付近に運ぶよう指示し、同人をして、同日夜、右火炎びん約二〇本を同大学付近に運搬させ、他方、松平、田中らにおいて、前記共謀にもとづき、実行部隊を集結すべく、同月二一日、中央軍の森輝雄、大川保夫、大桑隆ら、千葉地方軍の博田(当時石井)純、東京西部地区の木村一夫らに対し、警察官らを襲撃するため同夜東京薬科大学付近に集合するよう指示し、かつ、田中、松平も同大学付近に赴き、同日午後一〇時すぎころ前記火炎びん約二〇本を神田から受取り準備したうえ、森輝雄ら約八〇名の同派構成員らを同大学付近に集合させ、もって、被告人は、神田、松平、田中らと共謀のうえ、他人の身体、財産に対し共同して害を加える目的をもって、兇器を準備して、人を集合させたものである。
第三いわゆる大菩薩峠事件
一 犯行に至る経緯及び共謀の状況
赤軍派は、前記のとおり、昭和四四年九月上旬結成以来、世界革命戦争を目的として前段階武装蜂起の主張のもとに、過激な闘争を開始するに至ったが、さらに、被告人は、赤軍派の最高指導者として、当時の沖縄返還及び日米安全保障条約の改定に関する日本政府の施策は、日米両帝国主義のアジア侵略政策、反革命戦争であると規定してこれに反対し、同年一一月中旬に予定されている右施策推進のための佐藤首相の訪米を阻止し、かつ、右前段階武装蜂起を実現する目的のもとに、佐藤首相訪米前に赤軍派構成員らをもって首相官邸を襲撃、占拠することを企てた。
そこで、被告人は、政治局員の中野勝輝、八木健彦とともに次のとおり同派主要構成員らによる会合を開き、右計画の実現について協議した。すなわち、
1 同年一〇月二四日ころ、東京都文京区茗荷谷の林泉寺において、地区代表者会議を開き、被告人をはじめ、中野、八木のほか、田宮高麿、前之園紀男、松平直彦、大久保文人、小西隆祐、神田敏一、大越輝雄、大川保夫、木村一夫、西田政雄、前田祐一、森輝雄、酒井隆樹ら同派構成員多数が集合した際、被告人が中心となって、前記一〇・二一闘争が失敗に終った原因は、闘争実行者らが火炎びんの使用や爆弾の取扱に習熟していなかったなどの戦術面にあると指摘し、来たるべき闘争においては、軍と兵站との組織分担を明確にし、かつ、一〇月末ないし一一月初めに軍事訓練を行うことなどが提案され、
2 同年一〇月二五日ころ、都内早稲田大学付近のアパートにおいて、中野、八木、松平、大久保、田中義三、博田純、前田、木村一夫、大越、森輝雄らが会合を開き、右軍事訓練を行う場所として山梨県塩山市の大菩薩峠が提案され、松平と木村一夫とが現地に視察に赴くこととし、
3 同年一〇月二七日ころ、前記林泉寺において、前記1同様の参加者のもとに再度地区代表者会議を開き、席上、被告人において、爆弾使用等の軍事訓練を行ったのち、一一月一三日の労働者統一行動の前に首相官邸襲撃を行う旨の闘争方針を発表し、さらに、右闘争のため組織を軍団部門と兵站部門とに二分し、軍団部門は中野、八木、松平らが、兵站部門は被告人の指揮のもとに前田、神田、西田らが担当することとし、
4 同年一〇月二九日ころ、同都北区の赤羽台団地××号棟の一室において、被告人、中野、八木、前之園、田宮、西田、松平、大川、博田、河上清、劉世明ら約二〇名が集合して拡大中央委員会を開き、被告人が中心となって首相官邸襲撃、占拠を呼びかけるビラの読み合わせを行い、かつ、一部の出席者からの玉砕主義は避けるべきであるとの批判に対し、被告人をはじめとする政治局員らから、赤軍派の存在意義をかけて実行すべきであるとして計画実行の決意を求め、さらに、被告人から、首相官邸襲撃は首相訪米前の一一月五日ころに行うこと、訓練地は大菩薩峠とし、訓練後は解散しないで全員指定場所に待機すること、そのための兵舎を千葉方面に準備すること、実行は一〇〇名の部隊が幌をかけた車で突入し、鉄パイプ爆弾等を使用し、警備の警察官らを排除することなどの計画を発表し、かつ、襲撃参加者及びその後の組織の維持にあたる幹部の選定については被告人に一任することなどが承認され、
5 同年一〇月三一日ころ、同都文京区の富坂セミナーハウスにおいて、被告人をはじめ、中野、八木、松平、大久保、小西、西田、前田、大川らの幹部が会合を開き、被告人が中心となり、大菩薩峠で軍事訓練を行ったのち、一旦千葉に行き、一晩置いた一一月六日に官邸襲撃を行うが、状況によっては多少延期すること、部隊は攻撃隊と防禦隊とに二分し、全員早朝を期しトラックで官邸に向かうことを決め、各隊の攻撃、防禦の戦術を打ち合わせ、さらに、武器として福島地区の者が製造中の鉄パイプ爆弾、一〇・二一闘争の際準備したピース缶爆弾、茨城大学で製造した火炎びん等のほか銃器等をも準備すること、被告人、中野、八木、田宮、前之園、小西らは組織維持のため襲撃には参加しないこと、首相官邸の襲撃、占拠に成功した場合には人質と政治犯の交換を要求することなどを確認し、
6 同年一一月二日ころ、同都台東区の上野ステーションホテルにおいて、被告人及び松平らにおいて、首相官邸周辺の警備状況を検討し、また、軍事訓練参加予定者が五〇名程度であることを予定して部隊編成を修正し、さらに、同所を訪れた西田らに対し、襲撃予定日を同月七日早朝に変更する旨を伝えるなどした。
二 罪となるべき事実
(一) 被告人は、一記載の各会合及びこれに近接する機会を通じ、中野、八木の両名と、前記の政治目的をもって、多数の赤軍派構成員らにより、手製爆弾、火炎びん、銃器等各種の武器を使用して首相官邸を襲撃し、同官邸の警備にあたる警察官らを殺傷して同官邸を占拠することを共謀し、もって殺人ならびに兇器を携え多数共同して右警察官らの公務の執行を妨害することの共謀を遂げたうえ、右計画を実行するための準備として、
1 昭和四四年一〇月二九日ころ、被告人の指示により、神田を関西に派遣し、同年一一月一日ころ兵庫県神戸市垂水区△△町△△××番地のA方から実兄B所有の散弾銃一丁を持ち出させたうえ、同月四日ころ都内に搬入、保管させて準備し、また、同月二日ころ、被告人の指示により、西田を同派同調者川村明とともに東北地方に派遣し、同月四日岩手県水沢市○○○町×番××号C方から猟銃一丁及び散弾六八発を持ち出させ、さらに新たな銃器を入手すべく秋田市に向かった右両名に携行、保管させ、
2 同年一〇月二九日ころ、かねて福島医科大学に派遣していた大越及び大桑隆の両名を、同派福島地区の山野辺武を介して青森県弘前市に派遣し、同市内において同派構成員梅内恒夫、阿部憲一、木村剛彦らが製造していた鉄パイプ爆弾(前記第二の二に記載したものとほぼ同様の構造を有するもの。)一七本を同人らから受領させ、同年一一月二日ころ都内に搬入させたうえ、大越をして、同月四日後記大菩薩峠山中の「福ちゃん荘」に運搬して中野らに交付させ、さらに、同月二日、大川を介して同派中央軍の藁谷正弘を弘前市に派遣し、梅内、阿部、木村剛彦らが製造した前同様の構造を有する鉄パイプ爆弾約二〇本を同人らから受領させ、同月五日都内に搬入させて保管させ、
3 同年一〇月二九日ころ、大久保をして茨城大学に赴かせ、かねてから同大学において火炎びんの製造を行っていた同派所属の鹿志村義次らに対し、右官邸襲撃に用いるための火炎びんの製造を促し、鹿志村らをして同月末までの間に火炎びん(前記第二の三に記載したものとほぼ同様の構造を有するもの。)約二〇〇本を準備させたうえ、同年一一月一日、被告人の指示により西田を同大学に派遣して右火炎びん約二〇〇本を受領させ、千葉県松戸市内の後記岡崎アパート内に搬入して保管させ、
4 前記一の4記載の赤羽台団地における会合ののち、西田及び前田の両名に対し、武器の隠匿、保管及び官邸襲撃部隊の待機等のための宿舎の準備を指示し、前田をして、同年一〇月末から同年一一月一日までの間に、千葉市港町××番××号好荘及び東京都葛飾区東金町×丁目×番××号D方アパートの各一室を、西田をして、同年一〇月三一日、千葉県松戸市宮前町×、×××番地E所有のアパートの一室を借り受け、準備させ、
5 前記一の5記載の富坂セミナーハウスにおける会合ののち、前田及び西田らに対し、軍事訓練及び首相官邸襲撃に使用するためのナイフ、斧等の購入方を指示し、同年一一月一日ころ、西田及び川村らをして、都内数か所において、登山ナイフ三四丁、斧五丁等を購入させ、前記Eアパートに隠匿保管させたうえ、さらに前田に対し、右登山ナイフ、斧及び前記3記載のとおり西田が茨城大学から搬入した火炎びんのうち五本を訓練のため大菩薩峠に運搬するよう指示し、前田の依頼を受けた渡辺某をして同月四日後記「福ちゃん荘」に搬入させて、中野らに交付させ、
6 前之園及び同派構成員松浦順一、占部均ほか数名をして、首相官邸襲撃の際の部隊輸送に使用するため、同年一一月一日、千葉県柏市根戸三八一番地付近路上において、同月四日ころ、神奈川県高座郡海老名町河原口二四六番地青木自動車修理工場内及び同都八王子市狭間町一、四六八番地先路上において、普通貨物自動車合計三台を入手させたうえ、同人らをして埼玉県川口市内、同県春日部市内及び千葉県内の空地、路上等に隠匿して保管させ、
7イ 右軍事訓練及びこれにひき続く首相官邸襲撃のための部隊員を動員するため、同年一〇月末から一一月初めにかけて、中野において神奈川地区に赴き、また、大越を福島地区に、大久保を茨城地区に派遣したほか、千葉地区、関西地区、東京西部、同北部地区及び中央軍の各同派構成員らに連絡し、軍事訓練を実施するので一一月三日山梨県塩山市大字上萩原字萩原山四、七八三番地の一簡易宿泊所「福ちゃん荘」に集合するよう伝達し、かつ、右訓練実施の責任者として、中野、八木、松平及び大久保の四名が同所に赴き、同月三日午後同人らのもとに前記動員に応じた五十数名の同派構成員らを集結させ、
ロ 中野、八木、松平、大久保らにおいて、右訓練及びこれにひき続く首相官邸襲撃に使用するため、前記のとおり「福ちゃん荘」に搬入させた鉄パイプ爆弾一七本、火炎びん五本、登山ナイフ三四丁、斧五丁等のほか、東京西部地区の木村一夫に持参させたピース缶爆弾(たばこピースの缶に約二〇〇グラムのダイナマイトを入れ、その周辺に数個の小鉄球を詰め、右ダイナマイト中央部に導火線つき工業用雷管を差し込み蓋をしたもの。)三個を受領して右「福ちゃん荘」に保管し、
ハ 中野、八木、松平、大久保において、同月三日夜、右「福ちゃん荘」二階の部屋に前記五十数名の同派構成員らを集合させ、佐藤首相訪米阻止闘争として首相官邸を襲撃し、警備の警察官らを殺傷して同官邸を占拠する旨のアジ演説を行ったうえ、翌日から右攻撃のための訓練を行い、六日下山して一旦千葉に待機したうえ、同月七日早朝襲撃を行う旨の計画を伝え、かつ、右攻撃のため、同所に集結した者を八中隊に分け、第一ないし第三中隊を攻撃隊、第四ないし第六中隊を防禦隊、第七中隊を遊撃隊、第八中隊を警視庁攻撃隊とし、各隊の担当個所を説明し、第一ないし第七中隊の編成を発表するとともに、第八中隊については志願者を募り、武器として多数の火炎びん、鉄パイプ爆弾、ピース缶爆弾等を使用することを伝えて右各爆弾の構造、威力、使用方法等の説明を行い、さらに、翌四日午前九時すぎころ、右の約五〇名を同市上萩原四、七八三番地塩山市営避難小屋(通称「無人小屋」)付近の山中に引率し、再度前日同様の各隊別の攻撃方法の説明を行い、右約五〇名の者をして、首相官邸を襲撃し、警備の警察官らを殺傷するなどしてもその抵抗を排除し、同官邸を占拠しようとの決意を抱かせたうえ、右山中において、前記攻撃分担に従い、前記登山ナイフを配布して刺突訓練を、また、石塊、木片等を爆弾に見たてての投擲訓練及び前記火炎びん五本の投擲実験などを行わせたうえ、同夜、前記「福ちゃん荘」二階の部屋において、右訓練及び爆弾の使用方法等についての検討を行わせ、
もって、前記の政治目的をもって、殺人及び兇器を携え多衆共同して警察官らの公務の執行を妨害する罪の予備をなしたものである。
(二) 被告人は、前記のとおり、首相官邸襲撃、占拠計画につき、同年一〇月下旬から一一月三日ころまでの間、前記一の1ないし6記載のとおり赤軍派幹部らと会合を開くなどして、中野、八木、松平、大久保と、多数の同派構成員らをもって、前記鉄パイプ爆弾、ピース缶爆弾などを使用して同官邸警備の警察官らを攻撃する旨の共謀を遂げたうえ、中野、八木、松平、大久保らにおいて、
1 同年一一月三日から同月五日にかけて、前記のとおり「福ちゃん荘」に集結した五十数名の同派構成員らに対し、同荘二階及び前記「無人小屋」付近の山中において、首相官邸襲撃、占拠のため、前記構造の鉄パイプ爆弾及びピース缶爆弾多数を使用して同官邸警備の警察官らを攻撃する旨指示するとともに、右各爆弾の構造、威力、使用方法等を説明し、右爆弾の使用について全員の賛同を得たうえ、石塊、木片等を右各爆弾に見たてて投擲訓練を行わせ、さらに、その使用方法を討議させるなどし、もって、治安を妨げ、かつ、人の身体、財産を害する目的をもって、さらに右五十数名の同派構成員らと爆発物を使用することを共謀した
2 いずれも爆発物である前記ピース缶爆弾三個を同月三日午後から、前記鉄パイプ爆弾一七本を同月四日午後から、いずれも同月五日早朝まで、前記「福ちゃん荘」に保管し、もって右1記載と同様の目的をもって爆発物を所持した
3 同月三日から五日早朝にかけて、前記(一)の2、5、7記載のとおり、首相官邸襲撃に使用するため、前記ピース缶爆弾三個、鉄パイプ爆弾一七本及び登山ナイフ三四丁、斧五丁等を前記「福ちゃん荘」に搬入準備したうえ、五十数名の同派構成員らを同所に集結させ、もって、他人の身体、財産に対し共同して害を加える目的をもって、兇器を準備して、人を集合させた
ものである。
第四いわゆる「よど」号事件
一 犯行に至る経緯及び共謀の状況
被告人は、昭和四四年一〇月及び一一月の赤軍派による前記各闘争がいずれも失敗に終わり、中野、八木の政治局員をはじめ多数の幹部、構成員らが逮捕されるに至ったことから、一国内での闘争には限界があるとして、国外に活動の拠点を求め、世界共産主義革命を実現するには「労働者国家」を世界革命の根拠地とし、右根拠地において軍事訓練を行った革命軍を各国に派遣し、武装蜂起の世界性と永続性とをはかるべきであるとするいわゆる国際根拠地論を提唱し、赤軍派の主要な闘争目標として右国際根拠地の建設を企図し、
1 昭和四五年一月初旬、高原浩之、田宮高麿とともに政治局会議を開き、同年の闘争方針として七〇年(昭和四五年)武装蜂起と国際根拠地建設を行うことを確認し、
2 同月七日から八日にかけて、東京都千代田区永田町二丁目一四番三号所在の東急ホテルの一室において、高原、田宮、小西隆裕、前田祐一、上原敦男、川島宏、森清高、物江克男、山野辺武、大西一夫らを集合させて拡大中央委員会を開き、その席上、被告人から、同年二月から四月の間に三回に分けて多数の要員を国外に派遣して国際根拠地を建設し、軍事訓練を行ったうえ、同年秋に帰国し、武装蜂起を行うこと、また、国内においては、右武装蜂起に備えて、組織再建のためのオルグ活動を行い、革命戦線を結成する旨の活動方針を発表し、右方針のもとに、赤軍派を国内での組織活動を担当する日本委員会と国際根拠地の建設にあたる国際委員会とに二分し、国際委員会は被告人が、日本委員会は高原がそれぞれ責任者となり、右国際委員会のもとに、被告人のほかに田宮、小西、上原、山野辺、森清高らを委員とする調査委員会を設け、国際根拠地建設のための対象国の情勢、受け入れの可能性及びいわゆるハイジャック等の非合法手段を含む渡航方法についての検討、資料、情報の収集等を行うこと、また、将来その中から海外派遣要員を選定する趣旨のもとに「長征軍」と称する部隊を組織し、当面全国各地のオルグ活動を行わせ、前田をその隊長とし、主として逮捕状が出ていると予想される者及びいわゆる東大事件で起訴され保釈中のものを隊員とすることとし、田中義三、吉田金太郎、赤木志郎、岡本武、若林盛亮、安部公博、劉世明、佐藤公彦、山田敏夫ら十余名を隊員候補者とする旨提案して、いずれも出席者らの賛同を得た。
ここに、被告人は、主としてキューバを想定して国際根拠地の建設を企て、以後赤軍派においては、右計画を「フェニックス作戦」と名づけて、その実現のため、前記提案に従い、次のとおり、長征軍の編成を行い、かつ、調査活動を開始した。
3 同年一月一〇日ころ、同都目黒区のいわゆる中目黒アジトにおいて、高原、田宮、上原、川島、物江、森清高、前田らのほか、横浜、千葉、東京中部、北部、東部等の代表らが集合して関東地区の代表者会議を開き、田宮、高原において、前記拡大中央委員会の結果について報告を行った。
また、前田は、前記拡大中央委員会で発表された長征軍候補者らに対し、国際根拠地建設のため海外に渡航する意思の有無などを打診したうえ、同月二〇日ころまでに、田中、吉田、安部、若林、岡本、劉、佐藤、山田及び柴田泰弘ら十数名の長征軍の編成を終え、右隊員らをして革命戦線の結成に向けてオルグ活動を行わせるため、被告人と相談のうえ、同月二〇日すぎころから、劉、佐藤を九州に、山田ほか一名を北海道に、田中、安部、赤木、若林らを関西方面にそれぞれ派遣した。
4 前記国際調査委員会の田宮、小西、上原、森清高、山野辺は、川村明、阿部憲一とともに、同月二〇日ころ同都世田谷区のいわゆる松原アジトにおいて会合を開き、席上田宮から、船でキューバに行くのは技術的に難しいが、北朝鮮を経由してキューバに渡ることが考えられるので、ハイジャックで北朝鮮に行けるかどうかを調査しようとの提案がなされ、右提案に従い、小西、山野辺は北朝鮮の地図その他の資料を入手し、上原、森は千歳、米子、宇部の各空港の調査を行い、阿部は航空機の構造、性能等を調査し、川村は拳銃などの武器の準備を行うことなどの任務分担を定め、上原、森は、いずれも小西から費用の支給を受けて、同月二四、五日ころ羽田空港から全日空のボーイング七二七型機で千歳空港に飛び、機内の模様、千歳空港ロビーの状況、同空港周辺の宿泊施設の有無などを調査し、さらに、同月末ころまでの間に、宇部及び米子の各空港付近の調査を行い、かつ、YS一一型機に乗るなどし、上京後、前記富坂セミナーハウスにおいて、田宮、小西、山野辺らに右調査結果について報告した。
被告人は、この間、田宮らと同様に、キューバを国際根拠地建設の目的地としつつも、その前提としていわゆるハイジャックにより北朝鮮に渡ることを考えるに至ったが、同年二月上旬ころから関西方面を中心として赤軍派とブントの対立が激化し、前田のほか田宮、上原、森清高、物江ら調査委員会の大半も関西に赴き、同月一四日には同志社大学においてブントと衝突するなどしていだため、一時根拠地建設の準備を中断し、ようやく同月二〇日ころから、再びハイジャック計画に向けて、次のとおり武器及び資金の入手等を目的とした準備活動を開始した。
5 同月二〇日ころ、同都杉並区本天沼×丁目××番×号F荘のいわゆる下井草アジトにおいて、被告人、小西、前田、上原、川島らが集合し、拳銃等の武器の入手について検討し、「アンタッチャブル作戦」と称して、小説家大藪春彦方を襲って拳銃を奪取することを企て、同日から同月二三、四日ころにかけて、前田、上原、川島らにおいて、同都世田谷区松原三丁目三番一八号の右大藪方の様子を窺うなどしたが、拳銃の有無を確認できなかったため、前田、小西、上原、川島の四名は、同月二四日ころ、同都渋谷区神泉の建築設計事務所において会合し、アンタッチャブル作戦を中止し、中央大学ブントに所属し、暴力団極東組との繋がりを有する足立隆一に依頼して、拳銃、日本刀等を入手しようと相談した。
6 同日夜、都内自由が丘の佐々木のアパートにおいて、被告人は、田宮とともに、前田、小西の両名からアンタッチャブル作戦の実行が難しいとの報告を受け、右両名の提案する足立からの拳銃、日本刀の入手計画を了承し、かつ、その資金調達の方法を同人らと話し合い、郊外のスーパーマーケットを襲って現金を奪取することを計画し、これを「マフィア作戦」と名づけて、前田、小西の両名が前記長征軍部隊を率いて実行することとした。
そこで、前田は、同月二四、五日ころ都内東十条のスナック「フラワー」において、足立と会って拳銃、日本刀の入手方を依頼し、さらに、同月末ころ、前田から右交渉の依頼を受けた上原において、足立と交渉を続け、同年三月七日ころ、一週間ほどで日本刀一〇本ぐらいを入手できる旨の返事を得て、その代金三〇万円を同人に交付した。
さらに、前田、小西の両名は、同月二八日ころ、同都港区芝浦一丁目六番一号の芝浦会館に、田中、岡本、吉田、若林、赤木、山田、佐藤、劉らの長征軍隊員らを集め、前田において、「フェニックス作戦はいよいよ詰に入った。皆いつでも死ねるよう覚悟していてくれ。」と話して意思確認を求めたうえ、派遣要員候補者の最後の作戦であるとして前記マフィア作戦の内容を説明し、右計画を実行するため、長征軍を前田隊と小西隊とに二分し、同年三月一日から三日ころまでの間、同都葛飾区青戸のスーパーマーケットの売上金を奪取すべく、様子を窺うなどしたが、売上金の運搬状況等を確認できなかったため実行するに至らなかった。
同月三日ころ、前田は、隊員の若林から、同人の友人が京都のキャバレーにアルバイトに行っており、同店の売上金を奪える見込みがある旨を聞き、同月四日早朝、同都北区田端二二〇番地の喫茶店「ミナミ」において、被告人、田宮、小西、上原らと集合した際、前記マフィア作戦の経緯を報告し、右作戦の代りに若林のいうキャバレーを襲って売上金を奪うことを提案して、被告人らの了解を得、同日午後、岡本、若林、吉田とともに京都に赴き、同月七日ころまでの間、同市中京区河原町のキャバレーの様子を窺うなどしたが、これも実行するには至らなかった。
被告人は、この間も、前記ブントとの対立、抗争に苦慮していたが、同年三月上旬ころまでには、ブントの指導者の新開純也と会うなどして抗争の収束をはかり、かつ、北朝鮮へのハイジャック計画を実行するため、次のとおり、調査委員会をしてさらに調査を行わせるとともに、具体的な実行方法の検討、要員の選定等の諸準備を行った。
7 同月七日ころ、物江は、小西から同志社大学の学生で元航空自衛隊員の小川某から航空機の機種、航続距離、飛行場などについてハイジャックが可能かどうか話を聞いてくるようにと指示され、同月九日ころ京都市内において右小川と会い、同人から、キューバは距離的に遠すぎること、北朝鮮は米子、鳥取からも行けること、日本のパイロットは優秀だから言いなりになるかどうかわからないことなどの説明を受けた。
8 被告人は、同月上旬ころ、同都北区田端の八木秀和のマンションにおいて、田宮から、調査委員会の調査結果などにもとづき、ハイジャックの具体的な方法につき、要員が集結して航空機に乗り込むまでの手順、搭乗後、刀、爆弾、ロープなどを使用してパイロット、スチュワーデスら乗務員を制圧する時期、方法及び機内制圧後北朝鮮へ向かわせる方法などにつき詳細な説明を受け、その後右説明等にもとづき、派遣要員の面接、訓練、スパイの摘発、爆弾と刀の入手、資金獲得等について、同月九日以降のスケジュールを作成した。
9 同月一二日、被告人、田宮、小西、上原らが同都豊島区駒込二丁目三番四号喫茶店「白鳥」に集合した際、物江が前記7の小川の話を小西に報告し、また、上原も前記6の足立との交渉の経緯及び近日中に日本刀を入手できる旨を被告人に報告した。
同日夜、被告人、田宮、小西、前田、上原ほか一名が同区駒込三丁目一番一四号のホテル「愛川」に集合した際、被告人は、上原に対し、明日ボーイング七二七型機で千歳に行き、客席の様子やスチュワーデスらの状況、操縦席のドアの施錠の有無、千歳空港の警備状況、同空港付近の宿泊場所の有無、空港への交通の便などについて調査を行うよう指示し、その費用として約五万円を同人に交付し、上原は、右指示に従い、翌一三日昼ころ、ほか一名とともに再度羽田空港からボーイング七二七型機で千歳空港に飛び、前記諸調査を行ったうえ、同月一四日夕刻帰京し、前記喫茶店「白鳥」において右結果を被告人に報告した。
10 被告人は、前記のとおり自らの作成したスケジュールに従い、前記長征軍隊員の中からハイジャック派遣要員を選定するため、同月一三日、同区駒込三丁目三番一九号喫茶店「ルノアール」において、前田に対し、派遣要員選定の面接をするので、合格者らに対し、服装を目立たぬようにし、髪形を変えること、二人以上で行動し、アジトに出入りしないこと、フェニックス作戦については親兄弟にも話さぬことなどの諸注意を与えるよう指示したうえ、同区駒込二丁目七番六号喫茶店「カトレア」において前記長征軍の吉田、岡本、若林、柴田、赤木と順次面接し、右のうち、吉田、岡本、柴田に対し、前田において前記注意事項を伝達し、さらに、被告人は、翌一四日までに田中、山田とも面接し、右時点において、田中、吉田、岡本、若林、柴田を派遣要員として決定した。
11 以上の調査、準備等を進めたうえ、同月一三、一四日の両日にわたり、被告人は、田宮、小西、前田とともに前記喫茶店「白鳥」等において、フェニックス作戦実行の手順、方法等について具体的な検討を行い、被告人において、まずハイジャックで北朝鮮に渡り、その後キューバに行くとの方針を述べ、北朝鮮の政治状況について前田から若干の疑念が表明されたものの、結局全員右方針を了承し、決行要員を、被告人、田宮、小西、前田、上原、森清高及び前記面接の合格者五名のほか、一両日中にさらに面接を行い合格した者とし、右合格者が決まり次第、計画内容を伝え、訓練を行ったのち、同月二一日ころ決行すること、右決行までの間、前田及び小西において合格者らを掌握し、連絡を保っておくこと、その間捜査機関の活動に注意し、警察のスパイの摘発に努めること等を確認し、また、被告人から、旅客機内の乗客、乗員の制圧方法を説明し、操縦席と客室の間のドアの施錠の有無についてなお調査の必要があることを指摘したほか、右制圧に用いる爆弾を小西が、日本刀を上原が、ロープを兵站部がいずれも準備している旨を報告した。被告人は、さらに、YS一一型機とボーイング七二七型機の各航続距離、積載燃料並びに羽田、千歳、福岡の三空港について決行に伴う危険性などに関して説明したが、空港及び機種については、さらに調査のうえ決定することが確認された。
翌一五日、被告人は、前田とともに、前夜宿泊した前記八木秀和のマンションから、ひき続き派遣要員選定の面接を行うため、前記喫茶店「ルノアール」に向っていたところ、被告人らの行方を捜索中の警察官らに発見され、被告人は前記一〇・二一事件における爆発物取締罰則違反の事実に関し逮捕状の執行を受け、前田は銃砲刀剣類所持等取締法違反の現行犯人として逮捕された。
被告人らが逮捕されたことを知った田宮、高原、小西、上原は、同日夜同都港区六本木の喫茶店「アマンド」に集合して、爾後の方針について協議し、その際、かねてからハイジャックで北朝鮮に向かうことに疑問を抱いていた上原から右路線を再検討すべきであるとの意見が出されたが、田宮、高原は、いずれも既定方針どおり決行すべきであると主張し、小西もこれに同調し、従来の方針に従いハイジャックを行うことが確認され、その実行に向けて以下の諸準備が整えられた。
12 翌一六日、田宮、小西の両名は、同都中野区鷺宮のアパートにおいて派遺要員の森清高と会い、被告人が逮捕されても北朝鮮へのハイジャックは決行する旨の方針を伝え、今後は、派遣要員の田中、柴田らと行動をともにし、かつ、北朝鮮の地図及び国旗等を入手し、航空通信の英会話を勉強しておくよう指示を与え、また、小西は、同日神田付近の喫茶店において、派遣要員の岡本及び面接の結果保留となっていた山田に対し、予定どおり決行する旨を伝えるなどし、各派遣要員らに前記方針を伝達することに努めた。
13 上原は、前記方針に疑問を抱きつつも、同月一六日夜川島とともに同都台東区浅草の吉原公園付近において、足立から、刀身を研磨器、砥石で磨いて刃をつけた手製の日本刀九本、短刀四本を受取り、一旦前記神泉の建築設計事務所に搬入し、さらに、川島において、同月一八日同都文京区の東京大学工学部都市工学科の同人のロッカー内に運び込んだ。
14 田宮、小西らは、同月一九日、同都中央区京橋二丁目一三番の中央区立京橋区民会館六号室に、上原、森清高、岡本、若林、田中、柴田、山田ら前記派遣要員を招集し、まず田宮から国際根拠地建設のためハイジャックで北朝鮮に行き、その後、キューバ、北ベトナムに渡り、秋に帰国して武装蜂起に参加する旨国際根拠地建設の意義を説いて参加者らの意思確認を求めたうえ、上原が黒板に書いたボーイング七二七型機内の見取図にもとづき、離陸後水平飛行に移り、座席ベルト着用の電光表示が消えた時点で、小西の合図を契機に、乗客らに対し、日本刀、鉄パイプ爆弾等を示して脅迫し、その手を縛り、さらに、操縦室内の操縦士らをも脅迫して機内を制圧し、北朝鮮に向かわせる旨のハイジャックの方法を説明し、かつ、各派遣要員の座席の位置の割り当てを行ったうえ、室内の椅子を機内の状況に模して配列し、かつ、前記13記載の日本刀の中から当日川島が同所に持ち込んだ日本刀、短刀各一本を用いて、右手順に従った機内の制圧訓練を実施した。
15 川島は、同月二一日ころ、同都渋谷区代々木一丁目三〇番一二号喫茶店「どりあん」において、前記13記載のとおり保管していた日本刀、短刀の残りを小西に引渡し、さらに、小西の依頼により、同月二三日、都内二か所の旅行社等において、偽名を用いて羽田から福岡までの航空券五枚を購入し、同日、これを、同都品川区上大崎二丁目一五番七号目黒駅前ビルの喫茶店「ロイヤル」において、小西に交付した。
一方、前記のとおり派遣要員に予定されていた上原、森清高、山田は、同月二八日ころまでの間に、いずれもハイジャックに参加しないこととした。
二 罪となるべき事実
被告人は、前記のとおり、赤軍派政治局議長として、前段階武装蜂起のための国際根拠地の建設を提唱し、右根拠地をキューバに建設するため、航空機を乗取り、まず北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に渡ることを企て、同派国際調査委員会の田宮、同小西及び同派幹部の前田らとともに、航空機、空港の調査、日本刀、短刀等の武器の入手、航空機乗取り方法の検討、派遣要員の選定などの準備を進めていたが、昭和四五年三月一三、一四日の両日にわたり、東京都豊島区駒込二丁目三番四号所在喫茶店「白鳥」等において、田宮、小西、前田と右計画について協議し、被告人、田宮、小西、前田及び被告人が面接選定した田中、吉田、岡本、若林、柴田らとともに旅客機に乗り込み、日本刀、短刀、手製爆弾等を用いて乗客、乗務員らを脅迫し、ロープで縛るなどしてその反抗を抑圧して右旅客機を強取するとともに、国外に連行する目的で同人らを自己の実力支配のもとにおいたうえ、人質として乗客らを、また同機の操縦を行わせるなどのため乗務員らを機内に監禁したまま朝鮮民主主義人民共和国に連行する旨の共謀をし、さらに、田宮及び小西を介し、同年三月一五日、同都港区六本木の喫茶店「アマンド」において、同派政治局員の高原と、同日から同月三〇日ころまでの間に、田中、吉田、岡本、若林、柴田、安都及び赤木と順次共謀を遂げたうえ、右共謀にもとづき、田宮、小西、田中、吉田、岡本、若林、赤木、安部、柴田の九名において、同月三一日、同都大田区羽田空港二丁目所在の東京国際空港から、日本航空株式会社の運行する同日午前七時一〇分同空港発福岡行の定期旅客機第三五一便(ボーイング七二七型機、機体番号JA八、三一五号、通称「よど」)に乗客を装って搭乗し、同機内の前部、中央部、後部付近に分散して着席したうえ、同機が離陸して約一〇分後、富士山上空付近を飛行中の同日午前七時三〇分すぎころ、座席ベルト着用の電光表示が消えるや、全員一斉に立ち上がり、搭乗のスチュワーデス相原(当時神木)広美(当時二二才)、同沖宗陽子(当時二一才)、同久保田順子(当時二二才)及び沖中重雄ら別紙乗客一覧表(一)、(二)記載の乗客一二二名に対し、各自手に持った前記日本刀(刃渡り約七〇センチメートル)あるいは短刀(刃渡り約二〇センチメートル)をふりかざし、あるいは突きつけるなどして、こもごも「手をあげろ。」「静かにしろ。」などと怒号して脅迫し、さらに、田宮、小西、田中らにおいて、操縦室に侵入し、機長石田真二(当時四七才)、副操縦士江崎悌一(当時三二才)、航空機関士相原利夫(当時二一才)及びスチュワーデス訓練生渡辺(当時植村)初子(当時一九才)に対し、前記日本刀及び短刀を突きつけ、「静かにしろ。」「赤軍派だ。ピョンヤンに行け。」「客室の方は制圧したから、おとなしくしろ。」などと告げて脅迫し、相原機関士の両手を所携のロープで縛ったうえ、渡辺とともに客室内に連行し、さらに田宮において、客室内前部の機内マイクで「我々は共産同赤軍派である。今から、この飛行機を乗取り、北朝鮮へ行く。乗客の者も一緒に行ってもらう。静かにしておれば危害は加えない。もし目的が達成できないときは、手製の爆弾で飛行機もろとも自爆する。そのときは不運と諦めてくれ。」と放送して、乗客、乗務員らを脅迫し、乗客らを座席に坐らせてベルトを締めさせ、幼児及びその母親を除く乗客全員並びに相原、久保田、沖宗、渡辺らのスチュワーデスの両手を用意のロープで縛りあげて機内の制圧を完了し、かつ、石田機長、江崎副操縦士らをして抵抗を断念させ、田宮、小西、田中らの命ずるままに運行するの止むなきに至らしめ、もって、日本航空株式会社の運行する右旅客機を強取し、その際、前記のとおりロープで緊縛するなどの暴行により別紙受傷者一覧表記載のとおり、相原航空機関士及び乗客四名に対し、同表記載の各傷害を負わせるとともに、日本国外である朝鮮民主主義人民共和国に連行する目的で、前記石田機長ら乗務員七名及び別紙乗客一覧表(一)、(二)記載の沖中重雄ら乗客一二二名をいずれもその実力支配のもとにおいて略取し、まもなく相原航空機関士を機関操作のため操縦室内に戻したが、ひき続き吉田、岡本、若林、赤木、安部、柴田らにおいて、前記日本刀、短刀及び手製の爆弾ようのものなどを携えて客室内を巡回し、あるいは通路に立って乗客らの動静を監視し、小西、田中らにおいて、操縦室内の補助席から石田機長、江崎副操縦士、相原航空機関士らの監視を続け、さらに田宮において、前同様の放送を繰り返すなどして右乗客、乗務員らの監禁を続けたうえ、朝鮮民主主義人民共和国に直行するよう要求したが、石田機長から燃料の補給と航空地図が必要である旨説明され、これらを入手するため福岡空港に着陸することを了承し、再び機内のマイクで「福岡に降りて給油する。飛び立つまではおとなしく座って身動きもしないでくれ。目的が達成できなければ自爆する。」旨告げて威嚇したうえ、吉田、岡本、若林、赤木、安部、柴田らにおいて、非常口を点検し、出入口扉の把手をロープで縛り、機内各所に分散して、乗客、乗務員らに対する厳重な監視態勢を整えたうえ、同日午前八時五五分ころ福岡市大字上臼井の福岡空港に同機を着陸させ、右態勢のまま燃料の補給と朝鮮民主主義人民共和国の白地図等の交付を受けさせたが、同日午後一時四〇分ころ、別紙乗客一覧表(一)記載の沖中重雄ら老令者、幼児及びその保護者等二三名を同機から降して解放し、ひき続き、前記石田機長ら乗務員七名及び別紙乗客一覧表(二)記載の柴井博四郎ら乗客九九名を前同様の支配下においたまま、同日午後二時ころ、同空港を離陸し、朝鮮民主主義人民共和国に向けて北北西に航行させ、まもなく日本国の領空外に出させたうえ、同日午後三時すぎころ、地上からの電波による誘導により、朝鮮民主主義人民共和国の首都ピョンヤンと誤信して大韓民国の首都ソウル市近郊の金浦飛行場に着陸させたが、右事実に気づくや、前同様に乗客、乗務員らに対し厳しい監視態勢をとるとともに、田宮において、機内マイクで「我々はあくまでピョンヤンに行くことを要求する。もし要求が入れられなければ乗客を道連れに自爆する。」旨繰り返し放送するなどして、乗客、乗務員らの監禁を続けるとともに、右乗客、乗務員らを人質として、同空港管制塔及び在大韓民国日本大使らに対し、ピョンヤンへの飛行を認めるよう要求を繰り返し、同年四月二日、運輸政務次官山村新治郎との間に、同政務次官が乗客及びスチュワーデスと交代して同機に乗り込み、朝鮮民主主義人民共和国へ飛行する旨を合意し、翌三日午後三時すぎころ、同政務次官が搭乗するのと交代に柴井博四郎ら別紙乗客一覧表(二)記載の乗客九九名及び前記相原広美らスチュワーデス四名を同機から降して解放したのち、同日午後六時すぎころ、石田機長、江崎副操縦士、相原航空機関士の三名の監禁を継続したまま、同飛行場を離陸させ、同日午後七時二〇分ころ、朝鮮民主主義人民共和国の首都ピョンヤン近郊の美林飛行場に着陸させ、もって、別紙乗客一覧表(一)記載の沖中重雄ら二三名を同年三月三一日午前七時三〇分すぎころから同日午後一時四〇分ころまでの間、別紙乗客一覧表(二)記載の柴井博四郎ら九九名及び相原広美らスチュワーデス四名を同日午前七時三〇分すぎころから同年四月三日午後三時すぎころまでの間、石田機長、江崎副操縦士、相原航空機関士の三名を同年三月三一日午前七時三〇分すぎころから同年四月三日午後七時二〇分ころまでの間、いずれも前記「よど」号機内に不法に監禁し、かつ、別紙乗客一覧表(二)記載の柴井博四郎ら九九名及び前記石田機長ら乗務員七名を日本国外に移送したものである。
(証拠の標目)《省略》
(証拠説明及び弁護人らの主張に対する判断)
以下本件における争点のうち主要なものについて判断する。
一 弁護人らは、判示第二の二の爆発物の製造、第三の二の(二)の1の爆発物の使用の共謀及び第三の二の(二)の2の爆発物の所持の各罪について、(1)爆発物取締罰則は、明治一七年制定の太政官布告であって、昭和二二年法律第七二号一条にいう「命令」に該当し、同条により既に国法としての効力を失っている旨、(2)同罰則にいう「治安を妨げる目的」は、その内容が不明確であるうえ、こうした目的をもってする行為に対し、とくに重罰を科する合理的理由を欠き、憲法三一条、三六条に違反する旨及び(3)同法四条の使用の共謀の罪についてさらにその共謀共同正犯の成立を認めることは、同条の適用範囲を無限に拡張することとなり憲法三一条に違反する旨を主張する。
しかし、同罰則は、大日本帝国憲法七六条一項により法律と同一の効力を認めていたものであり、昭和二二年法律七二号一条にいう「命令」には該当せず、今日なお法律としての効力を有しているものと解されるうえ、同罰則三条は、「治安を妨げ又は人の身体財産を害せんとする」目的をもって爆発物を製造し、又は所持する行為を、同罰則四条は、上記目的をもって爆発物を使用し、又は使用させようとして共謀する行為をそれぞれ処罰するものであり、その目的、行為のいずれについても構成要件が不明確であるとはいえず、また、右のような目的をもってする爆発物の製造、所持及び使用の共謀という各行為の危険性に鑑みると、右各規定が不当に重い刑罰を科した不合理なものであるということもできない。さらに、同罰則四条の共謀の罪は、同罰則一条の使用の罪を犯そうとして共謀する行為を処罰するものであり、使用に至る前の何らの物的準備をも要件としない共謀という行為を取り上げて、これを製造、所持と同様に独立した犯罪として処罰しようとしていることに照らすと、同条にいう共謀とは、既に爆発物を準備し、あるいは使用に近接している状況下でなされるなど右と同程度の実質的危険性を有する行為に限られるものと解すべきであるが、こうした共謀を行う態様について、いわゆる直接的な共謀に限るべき理由はなく、共謀の相手を介し、さらに多数の者と共謀するなどいわゆる順次共謀をなした者を処罰することは、同条の適用範囲を不当に拡張することにはならないものというべきである。
よって、この点に関する弁護人らの主張は理由がない。
二 弁護人らは、判示第二の二の事実につき、(1)本件鉄パイプ爆弾は、既に福島医科大学において梅内恒夫らによって製造され、爆発物として完成されていたものであるから、東京薬科大学において、木村剛彦らが濃硫酸を入れた試験管を右鉄パイプ爆弾に装着させる行為は、爆発物取締罰則にいう製造には当らない旨及び(2)被告人には右爆弾の製造に関する知識は全くなく、その素材を都内に搬入し、東京薬科大学においてこれを完成させるよう指示を与えた事実はない旨を主張し、被告人も、当公判廷において、右(2)に沿う供述をしている。
《証拠省略》によれば、判示第二の二記載の鉄パイプ爆弾は、直径約一・六センチメートル、長さ約二五センチメートルの鉄パイプに塩素酸カリウム、フェロシアン化カリウム及び庶糖を混合した爆薬約二十数グラムを充填し、試験管に濃硫酸数立方センチメートルを入れてゴム栓をした起爆装置を右鉄パイプ内に装着し、鉄パイプ両端をネジで密閉した構造を有し、投擲により、右鉄パイプ内の試験管が割れ、管内に流出した濃硫酸と爆薬とが反応して爆発する構造を有するものと認められるところ、さらに、《証拠省略》を総合すると、昭和四四年一〇月中旬ころから、赤軍派所属の梅内恒夫、酒井隆樹、木村剛彦らが福島医科大学拠点として前記構造を有する鉄パイプ爆弾の実験を行い、かつ、その製造に必要な素材を入手するなどしていたが、同月二〇日夜、同大学において、梅内、木村剛彦のほか同派の山野辺武、阿部憲一らが前記の長さに切断した鉄パイプにネジ山を切り、そのうち約二七本に爆薬を充填するなどの作業を行ったうえ、東京から来ていた小西隆裕の依頼により、木村剛彦ほか二名において、右爆薬入りの鉄パイプ二七本、試験管数十本、ウィスキーびんに入れた濃硫酸などを自動車に積んで同大学を出発し、翌二一日午後二時ころ、前記東京薬科大学構内において西田政雄と合流し、同大学学生平野博之の案内で、これを同大学一号館一一番教室内に搬入し、同所において、西田、木村剛彦、松木某及び応援に到着した小西の四名で、同日午後四時ころまでの間に、右搬入にかかる試験管に濃硫酸を入れてゴム栓をし、これを爆薬を充填した鉄パイプに順次装着して前記構造の鉄パイプ爆弾を製造した事実がいずれも認められる。右事実によれば、本件爆弾は、いずれも福島医科大学において梅内、木村剛彦、山野辺、阿部らによって本体となる鉄パイプの準備と前記爆薬の調合、鉄パイプへの充填等の作業が行われたうえ、起爆装置に必要とする試験管、ゴム栓、濃硫酸などの材料が準備されていたものであって、右爆弾製造の中心的作業は既に終了し、爆発物取締罰則にいう爆発物としての実質を具えるに至ったものと解することができるが、前記のとおりの本件爆弾の構造、原理及び右製造作業を行った梅内らの意図に照らしても、右が未だ起爆装置を有しない未完成品であることは明らかであり、前記のとおり、東京薬科大学において、西田、小西及び木村剛彦らにおいて、起爆装置として試験管に濃硫酸数立方センチメートルを入れてゴム栓をし、これを順次前記爆薬入りの鉄パイプに装着してネジ蓋をし、前記爆弾を完成させる行為は、なお同罰則三条にいう爆発物の製造行為に該当するものと解するのが相当である。もっとも、右の事実に関する訴因は、鉄パイプ爆弾二七本を製造したというものであるが、福島から搬入された爆薬入りの鉄パイプ二七本全部について右の起爆装置が装着されたと認むべき証拠はなく、《証拠省略》を総合すると、未だ起爆装置の装着されていない鉄パイプが十本余り残っていることが窺われ、同所において完成された鉄パイプ爆弾は、十数本であったものと認められる。
そこで、右爆弾製造に関する被告人の共謀の有無について検討する。判示第二の事実に関する前掲各証拠によれば、右爆弾製造に至る経緯について、判示第二の一の一〇月一八日の会合において、被告人から一〇・二一闘争においては、爆弾、火炎びん等の武器を使用する旨を伝え、被告人及び小西らにおいてその兵站部門を担当することとしたこと、被告人は、同月二〇日、前記□□病院において、西田に対し、一〇・二一には福島の爆弾をも使う旨話しているうえ、判示のとおり福島に赴いた小西から同月二一日午前三時ころ爆弾を持った者を出発させた旨の電話連絡を受け、さらに、同日午前九時ころには同病院に立ち帰った小西からも同様の報告を受けたこと、被告人は、同日前記□□病院において、西田に対し、東京薬科大学に行って同大学にいる者と連絡をとり、火炎びんの製造に当るよう指示して、同人を同大学に派遣し、その後も頻繁に同人と電話連絡を行い、前記福島からの爆弾が到着したらこれを同大学に保管しておくよう指示を与えていたことがいずれも認められるが、検察官が当初冒頭陳述において主張していた、被告人が鉄パイプ爆弾の素材を都内に搬入させて完成させることを企て、小西を福島医科大学に派遣し、阿部らにその旨伝達させたとの事実を認めるに足る証拠はない。しかし、前掲東京地方裁判所刑事第一二部の二の公判調書謄本<西田政雄に対する放火未遂等被告事件の第三回公判調書謄本>中の被告人西田政雄の供述部分によれば、西田は、前記のとおり木村剛彦らと東京薬科大学において合流したのち、被告人と電話で連絡した際、被告人から東京薬科大学において爆弾に濃硫酸を入れる作業を行ってこれを完成させるようにとの指示を受け、これに従って、前記平野にその場所の提供を求め、前記のとおり製造行為を行ったものであると供述している。もっとも、西田は、第二八回公判においてこうした事実を否定する証言をしているのみならず、右事実に関する同人の検察官に対する四通(昭和四四年一一月二三日付、同年一二月一日付、同月六日付、同月二五日付)の供述調書においても、被告人との電話連絡の事実を認めつつも、右の指示を受けたことに言及したものはなく、前記一二部の二における供述の信憑性が問題となる。しかし、被告人は、前記のとおり、兵站部の最高責任者として、小西、西田らをして、爆弾、火炎びん等の準備を行わせていたことが窺われ、西田を東京薬科大学に派遣したのも、同大学において火炎びんの製造を行わせる目的であったことが認められるが、西田は、実際には前記のとおり爆弾製造作業を行ったのみで、火炎びんの製造作業を行っておらず、兵站部の最高責任者である被告人の指示又は了解なくして、西田が独断で、指示された火炎びん製造作業の代りに爆弾製造行為を行ったとは到底解し得ないところであり、その間に爆弾を完成させるようにとの被告人の指示があった旨の西田の前記供述は十分信用しうるものと認められる。以上の諸事実に照らせば、被告人が本件鉄パイプ爆弾の構造、性能について具体的な知識を有していたとは断定し得ないにしても、これが闘争のため火炎びんとともに警察官らに対し使用する手製爆弾であると解していたことは明らかであり、爆発物の認識に欠けるところはないと認められるうえ、右爆弾が濃硫酸を入れないと完成しない旨を聞いて、その作業を行うよう西田に指示し、同人をして、木村剛彦、松木、小西らとともに前記のとおりの製造行為を行わせたものであって、同罰則にいう爆発物の製造について、まず西田と共謀し、さらに西田を介して、木村剛彦、松木、小西と共謀したものと認めることができる。
三 次に判示第二の三の兇器準備結集罪の共謀について説明する。
《証拠省略》を総合すると、被告人は、判示第二の一の一〇月一八日の赤軍派幹部らによる会合において、赤軍派による一〇・二一の闘争方針を伝え、かつ、部隊編成をも定め、松平直彦、田中義三らを中隊長とする旨を発表し、同月二〇日には、右闘争の指揮、連絡場所を前記□□病院と定めて、西田らとともに同病院内に移り、右闘争に使用するため、前記のとおり、西田、小西らに東京薬科大学において、爆弾の製造を行わせ、かつ、その間西田をして、同大学が部隊集結場所として適当かどうかなどについて連絡を行わせるなどし、また、判示のとおり、神田敏一に火炎びんの準備、保管を命じたうえ、同月二一日夕方、東京薬科大学のテニスコート付近に二、三百名集まるので火炎びんを運ぶようにとの指示を与え、同日夜、同人をして火炎びん約二〇本を同大学付近に運搬させるなど専ら右闘争のための武器の準備を行い、一方、前記一八日の会合において第二中隊長とされた田中は、翌一九日前記編成のとおり第二中隊に属する赤軍派千葉地区の博田純、野村某らに対し、一〇・二一では千葉地区は第二中隊に所属する旨を伝え、さらに同月二一日には、博田及び同じく第二中隊に属する東京西部地区の木村一夫らと連絡をとり、同日夜東京薬科大学付近に集合するよう指示を与え、また、前記会合に参加し、第一中隊長とされた松平は、同月二一日昼ころ、都内代々木付近の寮において、前記編成のとおり第一中隊所属の森輝雄、大川保夫、大桑隆、劉世明、若宮某、松本某らと会合し、当日東京薬科大学付近に集結して火炎びん、鉄パイプ爆弾などで機動隊を攻撃する旨を伝え、同隊員らを通じて、さらに他の隊員らに伝達させるなどし、判示のとおり、同日午後一〇時すぎころ、東京薬科大学付近において、神田から前記火炎びん約二〇本を受取るとともに、約八〇名の同派構成員らを集合させた事実がいずれも認められる。
なるほど、弁護人らが指摘するとおり、右のとおり兇器を準備したうえ赤軍派部隊を集結させることについて、被告人と田中、松平らとが共謀したことを直接証明する証拠は見当らないが、右事実の経緯、とりわけ、同月一八日の会合において被告人が述べた一〇・二一の闘争方針と部隊編成、その後の被告人を中心とした火炎びん、爆弾等の武器の製造、準備の状況並びに田中、松平らによる各中隊員との連絡、集合指示の状況などに照らせば、右会合の前後ころ、少くとも同月二一日までの間に、被告人と田中、松平らとの間に一〇・二一闘争のため火炎びん等の武器を準備して東京薬科大学周辺に多数の赤軍派構成員らを集結させる旨の共謀がなされた事実を十分に推認することができ、右推認を妨げるべき事情は全く見当らない。したがって、被告人は、右結集の事実につき、共謀共同正犯としての責任を免れないものというべきである。
四 弁護人らは、判示第三の二の(一)の破壊活動防止法違反の罪について、(1)破壊活動防止法三九条、四〇条は、いずれも人の思想、信条そのものを予備、陰謀、教唆、せん動としてとらえ、独立して処罰の対象としたものであり、人の内心的意向を処罰するものにほかならないから、憲法に違反した無効の規定であり、(2)同法三九条及び四〇条の予備罪について共謀共同正犯の成立を認めることは、本来共謀も予備と類似した準備行為であり、両者の間に明確な区別をつけがたいうえ、実行行為から、余りにもかけ離れた予備行為の共謀という行為をもって処罰の理由とするものであり、罪刑法定主義を定めた憲法三一条に違反すると主張する。
しかし、本件に適用される破壊活動防止法三九条及び四〇条三号は、その所定の目的をもって、刑法一九九条等の罪をなすための、あるいは右目的をもって、兇器等を携え、多衆共同して警察等の職務を行う者らに対し刑法九五条の罪をなすための具体的な準備をし、あるいはその実行のための具体的な協議をするなどの社会的に危険な行為を処罰しようとするものであり、単に人の思想、信条などの内心的意思を処罰するものでないことは明らかであり、また、被告人は、判示のとおり、中野勝輝、八木健彦らとともに、判示の政治目的をもって首相官邸を襲撃し、警備の警察官らを殺傷して同宮邸を占拠することを共謀し、その準備として、自ら、あるいは中野、八木らをして、判示のとおりの予備行為をし、あるいはさせたが、事前に中野、八木ら五十数名が逮捕されたため、首相官邸襲撃を実行するに至らず、予備にとどまったものであり、単に予備的行為の共謀のみをしたものではなく、前記破壊活動防止法三九条、四〇条三号の各罪について共同正犯としての責任を負うべきことは明らかである。
よって、弁護人らの前記主張はいずれも理由がない。
五 被告人及び弁護人らは、判示第三の二の(一)、(二)の各事実について、(1)大菩薩峠における赤軍派のいわゆる「軍事訓練」は、前段階武装蜂起を唱える同派が自らの主体作りを目的として行った一般的演習であり、「首相官邸襲撃、占拠」計画も右訓練に現実味をもたせるための単なる仮想目標にすぎず、被告人にも、中野、八木をはじめとする他の同派構成員らにも、右訓練の後に首相官邸を襲撃する意図は全くなく、破壊活動防止法三九条及び四〇条三号に定める殺人及び公務執行妨害の意図も、爆発物取締罰則三条、四条及び兇器準備結集罪の治安を妨げ又は人の身体財産に危害を加える目的もなかった旨主張し、さらに弁護人らは、判示第三の二の(一)の事実について、(2)破壊活動防止法三九条及び四〇条三号の各予備罪については、犯行の準備が果して予備の段階に達していたか否かとくに慎重に判断すべきであり、「当該基本的構成要件に属する犯罪類型の種類、規模等に照らし、当該構成要件実現のための客観的危険性という観点からみて、実質的に重要な意義を持ち、客観的に相当の危険性の認められる程度の準備が整えられた場合であることを要する。」(東京高等裁判所昭和四二年六月五日判決)ものと解すべきであるところ、赤軍派による本件準備の程度は、軍事訓練参加者の規模、右参加者らの犯罪実行の決意の程度、武器、自動車、宿舎等の準備の状況、軍事訓練の実体等のいずれの面においても、首相官邸周辺の警備の警察力に比し極めて貧弱なものであり、未だ右の程度の危険性が認められる段階に達したものとはいえず、右各予備罪は成立しない旨主張する。
そこで、右事実に関する前掲各証拠を総合すると、以下の諸事実を認めることができる。
1 被告人は、前記のとおり、昭和四四年夏ころ、世界革命戦争とそのための前段階武装蜂起を唱えて、多数の同調者らとともに赤軍派を結成し、佐藤首相訪米阻止を一つの頂点とする同年秋以降の闘争を右前段階武装蜂起の一環として武力闘争を呼びかけ、同年九月中旬すぎころから前記一〇・二一に至るまで、主として警察を対象とした闘争を展開していたが、ほとんど見るべき成果をあげることができなかった。被告人をはじめとする赤軍派指導者らは、前段階武装蜂起の闘争路線が正当であることを強調する一方、右一〇・二一闘争の失敗の原因は、闘争の計画性と組織性の欠如、とりわけ各隊員への戦術の不徹底と隊員が武器使用に習熟していなかったことなど専ら技術上の問題にあると判断し、同年一一月上旬に予定している前記佐藤首相訪米前の闘争にあたっては、右の諸点の解決が必要であると考えるに至った。
2 右の基本方針のもとに、被告人らは、判示第三の一記載のとおり、同年一〇月二四日ころから同年一一月二日ころまでの間、会合を重ねたものであるが、第一回の林泉寺における会合では、専ら一〇・二一闘争の総括として、闘争の際の組織編成と軍事訓練の実施が提案され、第二回の林泉寺における会合では、爆弾使用等の訓練を行ったのち、一一月一三日までに首相官邸襲撃を行う旨の計画が発表され、さらに一〇月二九日ころの赤羽台団地における会合では、「首相官邸襲撃占拠闘争を計画的に実現せよ!」との標題のもとに、組織をあげ、あらゆる武器を使用して官邸を襲撃、占拠すること、そのための軍事訓練、武器の収集、武器庫の獲得、輸送態勢の確立を早急に完了する旨を呼びかけるビラの読み合わせを行い、かつ、官邸襲撃の時期、方法などの大要が発表され、同月三一日ころの富坂セミナーハウスにおける幹部らの会合では、訓練終了後一日おいた一一月六日朝官邸襲撃を実行すること、部隊を攻撃隊と防禦隊とに二分し、攻撃隊は松平、大川の各隊ほか一隊とし、正門、横門及び裏側土手から官邸内に突入し、防禦隊は田中、大久保、森輝雄の各隊とし、周辺路上にガソリンを撒き、応援に来る警察官らに対し阻止線をはること、被告人、中野、八木、西田、小西、前之園紀男らは襲撃には参加せず、襲撃が成功した場合には、被告人が人質と政治犯の交換を要求する交渉にあたることなど官邸襲撃の時期、方法などを討議し、かつ、右襲撃に使用する銃、鉄パイプ爆弾、火炎びん、アパートなどの準備について検討を行い、さらに、一一月二日上野ステーションホテルにおいては、装甲車の配置等官邸周辺の警備状況を検討し、軍事訓練参加予定者数が五〇名程度であることを予定して部隊編成を修正し、また、同所を訪れた西田らに対し、六日には全共闘の統一行動があるので、襲撃予定日を同月七日早朝に変更する旨を伝えるなどした。
3 前記第一回の林泉寺での会合の直後に、中野から軍事訓練に適当な場所を探すよう言われていた同派東京西部地区の木村一夫は、判示第三の一の2記載のとおり、同年一〇月二五日ころの会合において、大菩薩峠を候補地としてあげ、同月二八日には、松平とともに同所の視察に赴き、その際ワンゲル共闘連合会議の名称で同年一一月三、四、五の三日間の宿泊を前記「福ちゃん荘」に予約した。
4 一方、同月末ころから、判示第三の二の(一)記載のとおり兵站担当者らを中心として散弾銃、猟銃、散弾、鉄パイプ爆弾、火炎びん、登山ナイフ、斧、鉈、包丁、鍼、ピース缶爆弾等の武器、武器庫及び隊員の宿舎として使用するアパート三か所、襲撃の際に使用する普通貨物自動車三台等の準備が行われた。右武器のうち一部(鉄パイプ爆弾一七本、火炎びん五本、ピース缶爆弾三個、登山ナイフ三四丁、斧五丁)は、判示第三の二の(一)の2、5、7記載のとおり「福ちゃん荘」に搬入されたが、前記Eアパートには、なお火炎びん一八九本、ピース缶爆弾二個、鉈七丁、包丁四本、バール二本、鍼九本が準備されており、神田の入手した散弾銃一丁、藁谷の運搬した鉄パイプ爆弾二〇本もいずれも都内に保管されていた。また、西田、川村明の両名は、判示第三の二の(一)の1記載のとおり水沢市で猟銃、散弾を入手したのち、さらに銃砲店から猟銃等を入手すべく、秋田市に向かったが、一一月五日「福ちゃん荘」における同派の一斉逮捕を知り帰京した。
5 こうした準備を進めつつ、同年一〇月末ころから一一月二日にかけて、判示第三の二の(一)の7記載のとおり、赤軍派幹部らにおいて、同派福島地区、茨城地区、神奈川地区、千葉地区、関西地区、東京西部、同北部地区及び中央軍の各構成員らを動員し、同年一一月三日夕方までに五十数名の構成員らを前記「福ちゃん荘」に集合させたうえ、同日から四日夜までの間に、中野、八木、松平、大久保文人らにおいて、首相官邸襲撃計画の意義、その方法、部隊編成、使用する武器の構造、威力、使用方法等の説明を行い、かつ、訓練を実施したが、さらにこの間、三日夜の集会において、いわゆる救対名簿を作成するためとして、参加者各自の本名、組織名、所属、本籍、住所、生年月日、身体の特徴などを記入させ、かつ、参加者らから闘争の資金として所持金を徴収し、また、官邸襲撃の日を一一月六日と予定していたが、当日は全国全共闘の首相官邸へのデモがあり警戒が厳重であると予想されるので一一月七日早朝決行すること、右決行時刻に慣れるため、翌四日から起床時刻を一時間ずつ早めることなどの説明を行い、また、翌四日夜の集会の際には、大久保らから襲撃参加者は死亡や逮捕が考えられるので、希望者は手紙を書いておくようにとの話がされ、十数名の者が家族、友人等に宛て、闘争により逮捕され、あるいは死亡するかも知れない旨を記した訣別の手紙を書くなどした。さらに翌五日には、前記のとおり準備されていた鉄パイプ爆弾の投擲訓練等を行うことが予定されていたが、五日早朝中野に対する兇器準備集合罪等の逮捕状を執行するため同所に赴いた警視庁警察官らによって、前記の爆弾等を発見され、全員兇器準備集合罪の現行犯人として逮捕されたものである。
右事実に照らせば、右大菩薩峠における軍事訓練は、一〇・二一闘争が失敗に終った経緯に鑑み、首相官邸襲撃闘争の参加者らに実行の決意を固めさせ、戦術を理解させ、武器の使用に習熟させるため、右闘争の準備の一環として計画、実行されたものであることが明らかであり、右訓練が単なる演習であって、被告人、中野、八木、松平、大久保及び右訓練参加者らに実際に首相官邸を襲撃する意図はなかった旨の被告人及び弁護人らの主張は理由がない。
被告人らは、前記のとおり、前段階武装蜂起の一環として赤軍派部隊による首相官邸の襲撃、占拠を企て、多数回にわたる会合を重ねて、右闘争のための組織分担、実行部隊の編成、同部隊に対する軍事訓練の実施等の方針を定め、右闘争に使用する手製爆弾、火炎びん、銃、登山ナイフなど多数の武器の調達、千葉方面へのアジトの設定、部隊輸送用の貨物自動車の入手などについて打合せを行い、各担当者らをして判示第三の二の(一)記載のとおりの諸準備を行わせ、さらに首相官邸周辺の警備状況を検討して、部隊編成と武器に応じた具体的な襲撃方法と各隊の任務分担とを決定し、また、官邸襲撃決行の日時と軍事訓練実施の日程を定めて実行部隊員らを動員し、訓練場所に集結させ、作戦の概要と使用武器の説明を行い、部隊員らをして実行の決意を抱かせたうえ、前記分担に応じた武器使用の訓練を行わせるなど前記計画に従った諸準備を行ったものである。なるほど、証拠によれば、被告人らは、当初実行部隊として一〇〇名程度の動員を予定していたが、実際に動員に応じ軍事訓練に参加したのは五十数名にすぎなかったこと、鉄パイプ爆弾二〇〇本を準備すると称していたが、三七本しか用意されていなかったこと、千葉方面に準備した三か所のアジトでは五十数名の人員を収容するには不十分であるとも考えられること、大菩薩峠で実験した五本の火炎びんがいずれも不発に終っていることなど、諸点において計画の杜撰、不備、実行との不一致が窺われるが、全体としては、前記のとおりほぼ計画に従った諸準備がなされているうえ、青森においては、木村剛彦らがなおも鉄パイプ爆弾の製造を続けようとしていたこと、前記三か所のアジトでも五十数名の者を一晩集合させておくことが不可能とはいえないこと、前記上野ステーションホテルにおいては、被告人自身動員数が五〇名程度になることを予想して部隊人員を縮小することを検討し、「福ちゃん荘」においてもこれに応じた部隊編成を行うなど、計画を修正しつつその実現をはかっていたことが認められる。
以上の事実に照らせば、被告人らによる本件首相官邸襲撃計画は、前記の諸会合を通じて順次発展を遂げ、決行の際の戦術まで討議されていたのであって、なお細部について修正、補充的な打合せを行う余地があったにしても、既に実行行為に移れるだけの現実性、具体性を有していたものと認められるうえ、使用を予定していた武器、アジト、自動車等の大半の準備を終えて何時でも利用しうる状態におき、また、実行参加者五十数名を集合させ、部隊編成を行い、実行の決意を抱かせ、その任務に応じた軍事訓練を実施していたものであり、前記計画を実施しうる物的及び人的な態勢を整えていたことが認められ、被告人らの計画によっても、現に進行中の西田らによる猟銃等の入手を除き、他に特段の準備行為も予定されておらず、前記訓練終了後は、直ちに下山し、前記アジト等で分散宿泊し、七日早朝には実行に移ることが予定されており、前記のとおり五日早朝に実行部隊が逮捕されていなければ、右予定のとおり襲撃計画が実行されていたであろうと推認される。
弁護人らは、被告人らの準備行為は、首相官邸周辺の警備にあたる警察力に対比して極めて貧弱なものであるから未だ予備の段階に達していない旨主張する。しかし、前記の諸準備は、警察の警備力を考慮しても、貧弱とはいうことができないのみならず、本件において破壊活動防止法三九条及び四〇条三号の各予備罪が成立するには、被告人らにおいて、前記のとおりの政治目的をもって、首相官邸の警備にあたる警察官らを殺傷し、あるいは公務の執行を妨害する意図のもとに、右行為に出るにたるだけの実質的に危険のある準備行為をすればたりるのであり、その準備行為が現実に官邸占拠の目的を達しうる程度のものであったか否かは問うところではないと解されるところ、前記の準備行為は、その人員、武器、実行部隊の決意等いずれにおいても、優に官邸周辺の警備にあたる警察官らを殺傷し、あるいはその公務の執行を妨害するにたる実質を備えているとともに、被告人らの計画においても、まさに実行の着手に極めて近接した最終段階に達していたものと認められ、右各予備罪が成立するというに十分である。
よって、この点に関する弁護人らの主張も理由がない。
六 被告人及び弁護人らは、判示第四のいわゆる「よど」号事件について、共謀の成立を争い、次のとおり主張する。
(1) いわゆる国際根拠地論は、当初からキューバを対象としており、昭和四五年一月上旬東急ホテルで開かれた拡大中央委員会において設置された国際調査委員会も、専ら右目的のためにキューバ情勢と同国への渡航方法を調査するためのものであり、同調査委員会は、船舶、航空機の両手段につき、合法、非合法を含めた諸々の渡航方法の調査を開始した。
(2) ところが、同年一月中旬過には、キューバに滞在していた同派の小俣昌道から、キューバの政治情勢が変化し、同国における根拠地建設が難しい旨を伝える手紙が被告人に届き、右国際根拠地論の前提が動揺したうえ、前記拡大中央委員会で提示された七〇年秋武装蜂起のための国内でのオルグ活動の過程からブントとの対立が激化し、同年二月以降は赤軍派組織をあげてブントとの対決姿勢を固め、同月一四日には遂に同志社大学においてブントと衝突し、多数の逮捕者を出すに至った。こうした諸情勢から、被告人及び高原浩之を中心とする政治局は、同月二六日遂に前記拡大中央委員会で提示した国際根拠地建設、七〇年秋武装蜂起の方針を撤回することとし、これを下部構成員らに伝達した。しかし、翌二七日東横線都立大学駅付近の喫茶店において、物江克男、前田祐一、大西一夫、川島宏、上原敦男らから右方針変更を批判されたため、一応従前の方針を続ける旨を答えたが、被告人及び高原らは、その後も依然として方針転換の方法を模索し、田宮高麿、小西隆裕ら従前の路線を強硬に主張する国際調査委員会の幹部らと議論し、さらに、下部構成員らの意見を吸収するため、同年三月一三、一四日の両日にわたり、岡本武、若林盛亮、山田敏夫らの意見を聴取したものであり、右経緯に照らせば、右三月中旬の時点において被告人が北朝鮮へのハイジャックを計画していなかったことは明らかである。
(3) 検察官は、同年三月一三、一四日の両日にわたり、東京都豊島区駒込の喫茶店「白鳥」等において、被告人、田宮、小西、前田の四名が北朝鮮へのハイジャックについて具体的な謀議を遂げた旨主張し、前田の検察官に対する同年五月二、三日付、同月四日付、同月六日付、同月九日付各供述調書謄本によれば、いずれも三月一三日午後九時すぎころから右「白鳥」において謀議した旨記載されているが、被告人は、同日午後七時ころから駒込を離れ、同日深更まで同区巣鴨の喫茶店において、大西一夫、F子らと会っていたものであること、前田も、同日午後七時ころから駒込を離れ、中野に住む知人のG子方を訪ね、翌一四日午前一時ころまで同所にいたものであるから、同日午後九時ころから前記駒込の喫茶店「白鳥」において謀議をすることはありえない。同月三一日田宮、小西らによって実行された「よど」号のハイジャックは、かねてから国際根拠地建設、七〇年秋武装蜂起を強硬に主張していた田宮、小西らが、同月一五日被告人らが逮捕されたことにより、組織の崩壊を恐れて独自に計画実行してきたものである。
(4) 仮に被告人と右田宮ら実行者との間に共謀があったとしても、被告人は、逮捕されたのち、接見した弁護人を通じ、田宮らに対し、計画を中止するよう伝えたものであるから、右共謀から離脱したものであり、少くとも中止犯にあたると解すべきである。
そこで、右事実に関する前掲各証拠を総合して検討する。
1 被告人をはじめ赤軍派構成員らがキューバに対し強い親近感を有していたことは、世界共産主義革命を信奉する同派の主張に照らしても十分首肯しうるところであり、同年一月上旬の拡大中央委員会において提示された国際根拠地論も、キューバ革命の歴史から発想されたことが窺われ、その対象国として同国が想定されていたことは明らかである。また、同月中旬ころ被告人と前田が喫茶店で会った際、被告人が、前田に対し、キューバに滞在している小俣からの、キューバは現在国内問題に重点をおいており、赤軍派の戦略、戦術などには関心がなさそうである旨の手紙を示した事実があることも、弁護人主張のとおりこれを認めることができる。しかしながら、キューバを目的地としつつも、一月上旬の拡大中央委員会において発表された派遣要員候補者である長征軍のメンバーは、判示のとおり、主として逮捕状が出ていると思われる者及び東大事件で保釈中の者らであって、合法的に海外に渡航することが不可能であることが予想され、また、非合法手段による渡航を企てるには、キューバは遠隔地でありすぎることが考えられ、《証拠省略》によれば、既に右拡大中央委員会において北朝鮮へのハイジャックの話も出ていたことが窺われる。また、《証拠省略》によれば、判示のとおり、同年一月二〇日ころのいわゆる松原アジトにおける調査委員会の会合において、田宮から、船でキューバに行くのは技術的に難しいので、ハイジャックによりまず北朝鮮に渡り、同国を経由してキューバに行くとの方針のもとに、北朝鮮へのハイジャックの可能性を調査することが提案され、右提案に従い、上原、森清高において、判示のとおり、千歳、米子、宇部の各空港等の調査を行ったこと、《証拠省略》によれば、被告人は、判示のとおり、ハイジャックに向けての準備を進めつつ、同年二月末ころ、判示の下井草アジトにおいて、上原に対し、技術的な理由からハイジャックで北朝鮮に行くことにした旨を話していること、さらに、《証拠省略》によれば、判示のとおり、被告人は、同年三月一三、一四日両日も、田宮、小西、前田の三名と同様の方針のもとに北朝鮮へのハイジャックを謀議したことが認められるのである。これらの事実からすれば、被告人は、前記小俣からの手紙にもかかわらず、依然としてキューバを国際根拠地建設の目的地としつつ、専ら技術的な理由からまず北朝鮮へのハイジャックを計画し、以後一貫して、右方針のもとに、調査委員会と緊密な連絡をとり、判示第四の一記載のとおりの準備、謀議を重ねたものと考えられ、被告人の思想からして北朝鮮へのハイジャックを計画することはあり得ない旨及びキューバ情勢が悪化したので国際根拠地論の前提自体が動揺した旨の被告人及び弁護人らの主張はいずれも採用しがたい。
2 なるほど、前掲証拠によれば、赤軍派のオルグの過程において、同年二月上旬ころからブントとの対立が表面化し、前田のほか、田宮、上原、森清髙、物江ら調査委員会のメンバーの大半も関西に赴き、同派との対決姿勢を強めていたが、遂に同月一四日には同志社大学でブントと衝突し、右森をはじめ相当数の逮捕者を出したこと、同月二六日ころ、高原から物江に対し、ブントとの内ゲバを中止するよう政治局の指令を出し、翌二七日都立大学駅付近の喫茶店において、被告人、田宮、高原の政治局員と前田、上原、川島、物江、大西らが会合し、物江らから右の方針変更を批判された被告人がブント掃討を従前どおり行うと答えた事実が認められる。被告人は、当公判廷において、同年一月以降の闘争の経緯から見て、大衆的高揚が乏しく、右の時点では七〇年秋の蜂起は無理で七〇年代蜂起に変更すべきであると考えていたので、ブントとの内ゲバ中止と併せて国際根拠地建設をも中止するつもりであった旨供述し、前田の検察官に対する同年四月一三日付及び同年五月二、三日付各供述調書謄本にも、物江に対する高原の前記指示には、国際根拠地建設もやらない旨が含まれていたとされている。しかし、右の指示を与えた高原は、七〇年秋蜂起との関係でブント掃討を一時中止する旨指示したと供述し(高原の検察官に対する同年六月二五日付供述調書謄本)、また、これを受けた物江も、右高原の指示に国際根拠地建設を延ばせという趣旨は含まれておらず、むしろ根拠地建設に重点をおくためにブントとの内ゲバを控えるようにとの意味であったと供述し(物江の検察官に対する同年六月三〇日付供述調書謄本)、さらに右二七日の会合に出席した川島も、右会合において物江らからブント掃討の必要性が強調され、被告人らがこれを了解した旨供述している(川島の検察官に対する供述調書謄本)ほか、前田の同年五月二、三日付供述調書謄本によれば、同年三月上旬の前記喫茶店「ミナミ」における会合において、被告人自身、長征軍は根拠地設定要員であるからブント掃討には使わないと述べた事実も認められる。それのみならず、前掲各証拠によって認められるその後の被告人及び赤軍派の行動に照らしても、ブントに対しては、特段の対立、衝突を行うこともなく、同年三月上旬には、被告人自らブントの指導者のHと会って内ゲバの収束をはかっているのに対し、フェニックス作戦については、判示のとおり、武器、資金の入手を画策し、上原に再度空港の調査を命じ、あるいは派遣要員の面接を行うなど活発な準備を進めていたものであって、以上の諸事実を総合すれば、被告人ら政治局の前記の指示は、フェニックス作戦を推進するためブントとの抗争の収束をはかったものと解するのが相当であり、前記被告人及び前田の供述はいずれも信用しがたい。なお、判示第四の一の10記載のとおり、同年三月一三、一四日の両日喫茶店「カトレア」等において被告人が吉田、岡本、若林、柴田、赤木、田中、山田と個別に会ったのは、前記路線問題について赤軍派構成員らの意見を聴くためであったとの被告人の供述は、前掲前田、山田の検察官に対する各供述調書謄本により窺われる右面接時の状況及び右面接対象者らがいずれも長征軍の構成員であり、山田を除く六名がいずれもその後「よど」号乗取りの実行に加わっている事実からして到底信用できない。
3 次に、同年三月一三日の被告人のアリバイの主張について検討するに、証人F子は、当公判廷において、被告人が逮捕される二日前の夜から深夜にかけて巣鴨の喫茶店「白鳥」で被告人と会っていた旨供述しているが、同女の証言は、事件後九年以上を経過し、その話の内容については極めて曖昧であるにもかかわらず、被告人と会った日時及び場所については明瞭な記憶を有しているなど全体として信憑性に大きな疑問があり、また大西一夫は、当公判廷において、被告人逮捕の二、三日前に巣鴨の喫茶店で被告人と会い、路線転換問題について話し合ったと証言しているにすぎないうえ、刑事第五部における受命裁判官の証人尋問においては、一三日ころの夕方から夜にかけて会ったと述べているにもかかわらず、当公判廷においては、夜か昼かも記憶していないと供述するなど記憶が不確かであり、いずれも被告人のアリバイを裏づける証拠としては信用しがたいものというほかはない。
また、同日夜の前田のアリバイについてみると、同人に対する刑事第五部の証人尋問において、同人は三月一三日午後九時ころには「白鳥」を出て友人方を訪ねていた旨供述しているが、捜査段階においては一切こうした供述をした形跡がないのみならず、右証人尋問前の刑事第二〇部における公判廷において、被告人としてアリバイを主張し、訪問先の浦上よし子らが証人として取調べられているにもかかわらず、右刑事第五部における証人尋問の際に、なお訪問先についてはなるべくなら言いたくないと述べるなど、その供述の経緯、内容とも不自然である。また、《証拠省略》によれば、G子、Iは、いずれも右前田の供述に沿う旨の供述をしていることが認められるが、右両名の前田との関係、証言しようと考えるに至った経緯として述べる点などに照らし、これらの供述はにわかに信用できないものである。
したがって、被告人、前田が三月一三日夜駒込の喫茶店「白鳥」にいなかった旨の弁護人らの主張を採用することはできない。
4 そうして、前掲証拠を総合すれば、判示第四の一記載のとおり、被告人は、同年一月上旬からの調査委員会、長征軍らによる諸調査、準備活動を前提に、同年三月一三、一四日の両日にわたり、田宮、小西、前田らとハイジャックにより北朝鮮に向かう旨を決定し、参加者の大半を選定し、決行までのスケジュールを定め、かつ、旅客機乗取りの具体的方法について謀議したことが認められ、右時点において、未だ乗取るべき旅客機の機種、搭乗すべき空港などが未定であったとしても、本件ハイジャックにつき共謀共同正犯としての罪責を負うべき謀議を遂げたものと認めるに十分であり、また、本件ハイジャックが、右謀議の直後の被告人及び前田の逮捕により、右謀議の際の決行予定日から約一〇日遅れて実行され、かつ、参加者らにも若干の変動のあった事実は認められるにしても、その方針、参加者の大半、実行された手段等いずれも前記謀議をそのまま承継、発展させたものであり、弁護人らが主張するように田宮、小西らが、前記謀議と関係なく独自に計画し、実行したものとは到底認められない。
5 被告人は、当公判廷において、逮捕後、接見に来た弁護士を通じて、高原に対し、国際根拠地論を白紙に戻すようにとの趣旨を伝えた旨供述し、高原も第七一回公判において証人としてこれに沿う証言をしているが、たとい右事実を認めることができるとしても、それ以上に前記計画を思い止まらせ、あるいは共謀を解消する何らかの行為に出たとの証拠は全くなく、右伝言のみをもって前記共謀から離脱したものということはできない。また、右共謀にもとづき、既に犯罪行為が実行せられ、既遂に達している本件においては、中止未遂を論ずる余地のないことは明らかである。
よって、被告人及び弁護人らの前記主張はいずれも理由がない。
七 弁護人らは、判示第四の事実に関する被告人及び以下の共犯者、関係人らの検察官に対する各供述調書は、次の各理由により証拠能力を有しない旨主張する。
1 被告人の昭和四五年五月七日付、同月八日付、同月九日付各供述調書は、長期にわたり、連日長時間の取調べを受けたため心身が極度に疲労した状態下で、かつ、取調べ検察官の誘導と押しつけによって作成されたものであるから、いずれも任意性がない。
2 前田祐一の同年四月一三日付及び同月一五日付各供述調書は、専ら「よど」号事件についての取調べを行う意図のもとに、別件の兇器準備結集幇助という軽い犯罪で逮捕、勾留したいわゆる別件逮捕であり、しかも、「よど」号事件についての取調べを行う意図を秘匿し、右別件についての取調べをするかの如くに装い、黙秘権の告知もしないまま取調べを行い、同人を錯誤に陥れて供述させたものであること、同人の同月三〇日付、同年五月二、三日付、同月四日付、同月六日付、同月九日付、同月一一日付、同月一二日付、同月一三日付各供述調書は、いずれも取調べ検察官から、起訴しない旨を約束され、これを信じて供述したものであること、右一〇通の供述調書は、いずれも長期にわたり、連日長時間の取調べを受けた結果、極度の疲労と拘禁反応に陥った状態下において、また、取調べ検察官から塩見は供述している旨の虚偽の事実を告げられて供述したものであることの理由により、いずれも証拠能力を有しない。
3 高原浩之の供述調書二通は、赤軍派による要人誘拐作戦という新たな犯行計画を阻止するため、「よど」号事件については何らの証拠もないにもかかわらず、違法に同人を逮捕、勾留して取調べた結果であること、取調べ検察官から、供述すれば、幇助犯で起訴してやるし、また、物江、森、上原を救うこともできると持ちかけられ、これを信用して供述したものであること、長期にわたり連日長時間の取調べを受けたのちの自供であり、取調べ検察官の誘導と押しつけによって得られたものであること、さらに、同年七月二〇日付供述調書は起訴後の取調べによるものであることの理由により、いずれも証拠能力を有しない。
4 上原敦男(一〇通)及び川島宏の各供述調書は、いずれも取調べ検察官から自供すれば幇助犯にしてやると持ちかけられ、これを信用して供述したものであり、また、取調べ検察官の誘導と押しつけによって得られたものであること、上原の同年八月四日付及び同月六日付各供述調書は、起訴後の取調べによるものであることの理由により、いずれも証拠能力を有しない。
5 物江克男(五通)及び山田敏夫(二通)の各供述調書は、いずれも取調べ検察官から(山田については父親Jを介し)、起訴しない旨説明、約束され、また、森清高の供述調書三通は、取調べ警察官から不起訴になるであろうと言われ、右三名はこれを信用して供述したものであるから、いずれも証拠能力を有しない。
6 劉世明の同年五月一九日付、同月二二日付及び佐藤公彦の各供述調書は、別件による起訴後の勾留を利用して取調べを行った結果得られたものであるから、いずれも証拠能力を有しない。
以下右各主張について検討する。
(一) 《証拠省略》を総合すると、被告人は、判示のとおり昭和四五年三月一五日判示第二の二の爆発物製造の事実で逮捕され、勾留のうえ、同年四月一日右事実について公訴を提起され、その後同年四月二二日「よど」号ハイジャック事件により逮捕状を執行され、身柄を警視庁に移監されたうえ、以後数日を除いてほぼ連日にわたり右事実について取調べを受け、同年五月一四日公訴を提起されたことが認められる。右取調べの状況について、被告人は、連日長時間の取調べを受け、疲れて自暴自棄に陥っていたこと、取調べ検察官から、このままでは無期になるが、喋れば軽くなるとか幇助の可能性があるとか言われ、さらには、前田は喋っているから黙秘しても無駄であるなどと言われたこと、調書の記載は検察官が前田の供述や被告人から押収したノートなどをもとにして被告人に押しつけたものであること、調書記載後の読み聞けも十分に行われなかったことなど、前記弁護人の主張する事実のほか多岐にわたり取調べが不当であった旨を供述している。しかしながら、《証拠省略》によれば、右期間中の取調べ時間は、一日一時間から一〇時間の範囲内にあり、とくに長時間であったとは認められないうえ、検察事務官として右取調べに立会したKは、証人として、被告人に疲労の様子はなく、質問に対してはとくに慎重に考えて供述していたと述べているほか、前記のとおり被告人が指摘した取調べの不当性についても、いずれも明確にこれを否定しているところである。また、被告人の前記三通の供述調書の記載に徴しても、前田の供述調書と内容的に必ずしも符合しておらず、また、前田の供述調書には現れていない事項あるいは読み聞け後の加筆を求める事項などが含まれているうえ、全体として判示の認定事実に比して被告人の主張、弁解が中心となっているなど、検察官の押しつけとは解しえない内容であることが認められる。これらの事実に照らせば、被告人の前記供述はいずれも措信しがたく、他に右取調べの不当性を窺わせる証拠も見当らない。
(二) 《証拠省略》によれば、前田は、判示のとおり昭和四五年三月一五日逮捕され、同年四月四日兇器準備結集幇助の事実で公訴を提起されたが、その間、同年三月三一日から本件の「よど」号事件について数回取調べを受け、同年四月二二日右事件について逮捕状を執行され、さらに取調べを継続されたことが認められる。
弁護人が違法な別件逮捕であると主張する右兇器準備結集幇助の事実は、判示第三のいわゆる大菩薩峠事件の武器等の準備に関するものであり、軽微な事件とはいえず、要件の存しない違法な逮捕、勾留であることを窺わせる証拠も全く見当らない。
なるほど、右四月一三日付及び同月一五日付各供述調書の被疑事件名は兇器準備結集幇助とされているうえ、前掲証人Kの供述によれば、右各取調べを開始するにあたり、改めて黙秘権の告知がなされなかったことが窺われるが、前田は、それまで右大菩薩峠事件について同一検察官により一連の取調べを受け、右取調べの冒頭及びその後においても黙秘権の告知を受けていること、本件「よど」号事件についても、右調書作成時まで二、三回の取調べが行われていることからみて、同人が右各取調べが「よど」号事件に関するものであり、かつ、黙秘権を有することについて錯誤に陥っていたとは到底考えられないところであり、右事実をもって右各供述調書の証拠能力を否定すべきものとは解されない。
次に、前田は、本件で逮捕されてまもなくの四月二四、五日ころ及び起訴直前の同年五月上旬ころ、いずれも取調べ検察官から起訴しないと約束された旨供述し、また、同人の父親Lも同年四月二七日ころ祐一と面会した際右祐一及び警察官らから担当検察官が起訴しないと言っている旨伝え聞いたと証言している(東京地方裁判所刑事第二〇部における前田祐一に対する前記被告事件の第五七回公判調書謄本中の証人Lの供述部分)。しかし、右前田祐一の供述は、極めて具体性に乏しく、またLの証言も重要な点において曖昧かつ不自然であって、いずれも措信しがたく、前掲証人Kは明確にこうした事実を否定しており、未だ事件の概略、各人の犯行への関与の程度も把握されていない前記段階において、しかも既に供述を開始している前田に対し、取調べ検察官が不起訴の約束を与えるとは考えられず、右K証人の証言は十分これを信用しうるものと認められる。
さらに、前田は、同年四月二一日ころ取調べ検察官から塩見は喋っているぞと虚偽の事実を告げられた旨及び連日の長時間にわたる取調べにより五月上旬ころには意識がもうろうとし、医務室でカンフル注射を受けて取調べを続行された旨供述しているが、《証拠省略》によれば、四月上旬以後の同人の取調べ時間は一日数時間程度であることが認められ、とくに長時間とは言えないうえ、前掲証人Kの供述及び本件についての前田の供述の経緯に照らし、いずれも信用できない。
(三)1 高原の逮捕、勾留が赤軍派による新たな犯行計画を阻止するために行われた違法なものであるとの主張については、同人は、昭和四五年六月七日本件「よど」号事件について裁判官の発した逮捕状によって逮捕され、その後勾留のうえ公訴を提起されたことが明らかであり、右逮捕、勾留が「よど」号事件についての捜査及び公訴提起のために適法に行われたものと推認される反面、これが要件を充たさない違法なものであったことを窺わせるに足る証拠は見当らず、右主張は理由がない。
2 《証拠省略》によれば、高原の取調べ時間は一日二時間ないし一〇時間の範囲内にあり、とくに長時間とは認められず、前掲証人Kも、高原はとくに健康でよく笑っていた旨供述しており、この点に任意性を疑わしめる理由は見当らない。
3 高原(二通)、上原(一〇通)及び川島の各供述調書がいずれも検察官の誘導と押しつけによって作成されたものであるとの主張について、右三名はいずれも右主張に沿う供述をしているが、前掲証人Kはいずれもこれを否定しており、右三名の各供述調書の記載に照らしても、高原らの右供述は信用しがたい。
4 高原の七月二〇日付、上原の八月四日付及び同月六日付各供述調書は、いずれも起訴後の取調べによることは明らかであるが、本件は多数の関係者らによる犯行で、共犯者相互の供述にくい違いがあり、かつ、右各供述調書の記載内容によれば、右の取調べは、右両名の起訴後に作成された森清高の供述調書の記載事項を確認し、あるいはそのくい違いを解明するために補充的になされたものと認められ、これをもって、違法な取調べということはできない。
5 高原(二通)、上原(一〇通)、川島、物江(五通)の各供述調書について、高原らは、いずれも取調べ検察官から、幇助犯として処理し、あるいは不起訴にするとの約束を受け、高原については、さらに、物江、佐藤、上原を救ってやるとの誘いがあった旨の供述をしているが、右各供述はいずれも具体性を欠き、不自然であるうえ、前掲証人Kの供述に照らしても措信しがたいものというほかはない。
また、山田敏夫の供述調書二通について、《証拠省略》によれば、山田敏夫の父であるJは、取調べ検察官から山田敏夫の処分について起訴しない旨告げられたと証言し、山田敏夫もこれに沿う供述をしているが、右Jの証言は曖昧であるうえ、同人が検察官と面会したと認められる昭和四五年五月二六日の前日からすでに敏夫が供述を開始していること、右取調べの検察官は山田関係についてのみ取調べを担当したいわゆる応援の検察官であり、事件についての全体的処理権限を有していなかったと思料されることなどに照らし、右不起訴約束がなされた旨の証言は、きわめて不自然であり、《証拠省略》に照らしても信用しがたいものと認められる。
さらに、森清高の供述調書三通について、同人の供述中には、取調べの警察官から幇助あるいは不起訴になるかも知れないと言われたとの部分もあるが、右がいわゆる不起訴の約束ないし利益誘導であったとは同人自身も述べておらず、かつ、その内容もきわめて曖昧であってにわかに措信しがたく、他に弁護人の主張する不起訴の約束がなされたことを窺わせる証拠も全くない。
6 劉(昭和四五年五月一九日付、同月二二日付)及び佐藤の各供述調書が別件による起訴後の勾留の間に作成されたことは認められるが、起訴後勾留されている被告人を別件で取調べること自体は、差し支えないものと解されるから、この点を理由とする弁護人の主張は理由がない。
よって、被告人及び前記各共犯者、関係人らの検察官に対する各供述調書が証拠能力を有しないとの弁護人らの主張はいずれも理由がない。
(法令の適用)
被告人の判示第二の二の所為は刑法六〇条、爆発物取締罰則三条に、判示第二の三の所為は刑法六〇条、二〇八条の二第二項前段に、判示第三の二の(一)の所為中、政治目的をもって、殺人の予備をなした点は刑法六〇条、破壊活動防止法三九条に、右目的をもって、警察官に対し、兇器を携え多衆共同して公務の執行を妨害する罪の予備をなした点は刑法六〇条、破壊活動防止法四〇条三号に、判示第三の二の(二)の1の所為は刑法六〇条、爆発物取締罰則四条に、判示第三の二の(二)の2の所為は刑法六〇条、爆発物取締罰則三条に、判示第三の二の(二)の3の所為は刑法六〇条、二〇八条の二第二項前段に、判示第四の二の所為中、航空機を強取し、別紙受傷者一覧表記載の相原利夫ら五名に対し傷害を負わせた点はいずれも同法六〇条、二四〇条前段に、日本国外に移送する目的で石田真二ら乗務員七名及び別紙乗客一覧表(一)、(二)記載の沖中重雄ら乗客一二二名を略取した点はいずれも同法六〇条、二二六条一項に、右乗務員及び乗客ら一二九名を監禁した点はいずれも同法六〇条、二二〇条一項に、石田真二ら乗務員七名及び別紙乗客一覧表(二)記載の柴井博四郎ら乗客九九名を国外に移送した点はいずれも同法六〇条、二二六条二項後段、一項にそれぞれ該当するところ、判示第三の二の(一)の破壊活動防止法三九条違反の罪と同法四〇条三号違反の罪、判示第三の二の(二)の2の爆発物取締罰則三条違反の罪と同(二)の3の兇器準備結集罪及び右判示第三の二の(一)の各罪と判示第三の二の(二)の各罪とは、いずれも一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、結局判示第三の二の各罪を一罪として、刑及び犯情の最も重い判示第三の二の(二)の2の爆発物所持の罪の刑で処断し、また、判示第四の二の石田真二ら乗務員、乗客一二九名に対する各国外移送略取罪、各監禁罪、石田真二ら乗務員、乗客一〇六名に対する各国外移送罪並びに相原利夫ら五名に対する各強盗致傷罪と石田真二ら一二九名に対する各国外移送略取罪、及び石田真二ら一〇六名に対する各国外移送罪と各監禁罪とは、いずれも一個の行為で数個の罪名に触れ、かつ、右石田真二ら一二九名に対する各国外移送略取罪と各監禁罪との間及び石田真二ら一〇六名に対する各国外移送略取罪と各国外移送罪との間には、いずれも手段結果の関係があるので、同法五四条一項前段、後段、一〇条により、結局以上を一罪として刑及び犯情の最も重い相原利夫に対する強盗致傷の罪の刑で処断することとし、所定刑中、判示第二の二及び判示第三の二の各罪については懲役刑を、判示第四の二の罪については有期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条に従い、最も重い判示第四の二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一八年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中三、〇〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により別紙訴訟費用負担一覧表記載のとおり被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
赤軍派は、判示のとおり、世界共産主義革命を目的とした前段階武装蜂起を唱える被告人を理論的指導者として昭和四四年九月上旬結成され、同年秋から翌四五年三月までの僅か約半年の間に次々と判示の各闘争を展開したものである。いわゆる一〇・二一国際反戦デー事件は、都内の秩序を混乱させる目的で、手製爆弾、火炎びん等を用いて警察官らを攻撃することを企て、爆弾を製造し、かつ、火炎びんを準備し、数十名の同派構成員らを集結させ、その一部は、中野区内等において警察車両等に火炎びんを投擲するなどしたものであり、火炎びんが発火しなかったことなどのためさしたる実害が発生しなかったとはいえ、専ら社会秩序の破壊と混乱を目的とし、また、その後の爆弾闘争の先駆ともなった当時における最も過激な闘争であったと認められる。次に、いわゆる大菩薩峠事件は、前記前段階武装蜂起の一環とし、かつ、直接には、日米安全保障条約の改定と沖縄返還に関する政府の施策に反対する目的をもって、いわば同派の総力をあげて首相官邸を襲撃、占拠することを企て、多数回にわたる会合を重ねて、武器等の調達、部隊の編成、攻撃方法などを討議し、関西から東北までの広汎な地域にわたって、猟銃、散弾銃、手製爆弾、火炎びん、登山ナイフなどの武器を多数調達し、かつ、五十余名に上る同派構成員らを動員して、決行直前の軍事訓練を実施していたものであり、直前に検挙され、実行に至らなかったとはいえ、首相官邸襲撃、占拠という目的、その計画、準備した武器、動員した人員の規模等において、実行されれば警察官らの生命、身体が害され、重大な社会的混乱を生じたことが予想され、一般にも深刻な不安を与えたことが認められる。さらに、赤軍派は、これらの闘争の失敗から、国外に革命の拠点を作るため、被告人をはじめとする同派構成員が非合法手段を用いて海外に渡ろうとして、いわゆるハイジャックを計画し、判示のとおり長期間にわたる謀議と準備を重ね、遂に一部構成員らにおいてこれを実行したものである。右の犯行は、航空機を強奪し、多数の乗客、乗務員を人質にして、不法な要求を繰り返し、長時間にわたってその自由を拘束し、多大な肉体的、精神的苦痛を与え、遂にその要求を押し通したという非人道的な卑劣極まりない犯行であり、しかもハイジャックとしてはわが国における最初の犯行であって、国民に与えた衝撃と不安は極めて強いものがあったといわなければならない。
被告人は、右赤軍派の政治局議長で、同派の最高指導者として、前段階武装蜂起、国際根拠地論を唱えて同派の闘争方針を樹立したものであるが、右主張は、いずれも、独自の世界観にもとづき、革命のためと称して専ら平穏な秩序を破壊し、社会を混乱に陥れることを目的としたものにほかならず、過激な暴力集団としての赤軍派の性格を決定し、同派の構成員をして判示の各犯行に走らせる原動力となったのみならず、その後の同派ならびに同種のいわゆる過激派集団の闘争方針、戦術等にも強い影響を及ぼしたことが推測される。さらに、被告人は、判示のとおり、右各犯行においても、計画を策定し、武器等の準備を指示し、戦術の討議、決定に関与するなど、いずれも主謀者及び計画の中心的推進者として関与したものと認められる。なるほど、「よど」号事件においては、被告人は犯行の約半月前に逮捕され、その後は専ら田宮、小西らの指導のもとに最終的準備が進められ、実行行為がなされたことが認められるが、前記の諸事実に照らせば、本件各犯行を通じての被告人の刑責は、極めて重いものがあるといわなければならない。
一方、被告人は、逮捕後今日まで長期にわたって勾留され、その間には、前記ハイジャック闘争が誤りであったことを承認し、かつ、最近ではかつての考え方を省み、被告人との生活を待ち望んでいる妻子を思い、今後は年令に相応した地道な活動を続けると述べるなど、従来の過激な主張に対する反省の念も窺われるうえ、赤軍派自体多数の集団に分裂し、もはや客観的にも被告人にかつての指導力、影響力があるものとも考えられない。
以上の諸事実及び各事件についての共犯者との刑の均衡、被告人の身上、前科、前歴、家族関係、その他の諸事情を考慮して、被告人を懲役一八年に処するのが相当と思料する。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 神垣英郎 裁判官 竹崎博允 裁判官 三好幹夫)
<以下省略>